現代語訳『伽婢子』 幽霊諸将を評す(5)

 続いて、多田《ただ》淡路守《あわじのかみ》が進み出て発言した。
「確かにあなた方の評価には一理ありますが、我々が名将の真価を計り知れましょうか。いずれの将も深謀《しんぼう》遠慮があるに相違ありません。古《いにしえ》のことわざに、『千丈の堤も螻《けら》と蟻《あり》の穴から崩れる』と言います。この戦国の世において信玄・謙信・氏康が諸国諸将の中で最も秀でた名将だと評価されているとはいえ、諸国には徒党を組み、権謀《けんぼう》を巡らす者たちが大勢います。その中から、小将が謀《はかりごと》を用いていきなり大将を倒すことも十分あり得る状況です。近年、尾張《おわり》国の織田信長は既に全国統一の志を抱き、近国を従えながら次第に大国と肩を並べるようになってきています。弘治《こうじ》二年、猛将の誉れ高く、大軍を率いていた駿河《するが》国の今川義元《よしもと》をわずかな期間で滅ぼしました。信長はさらに遠謀《えんぼう》を巡らし、剛強《ごうきょう》・武勇にして知謀兼備の信玄に対し、親交を深めて縁を求め、自分の伯母を秋山伯耆守《ほうきのかみ》の妻にし、姪《めい》を勝頼の側室に入れ、甲府《こうふ》に絶えず使者を遣わし、音信を尽くしてひたすら臣下の礼を取り、信玄の機嫌を取って追従《ついしょう》しています。しばらく信玄の武勇をなだめて後顧の憂いを絶ち、眼前の敵を討ち従えようとしているのでしょう。まず第一に、光源院《こうげんいん》・足利義輝《よしてる》公の弟である義昭《よしあき》公を擁立し、義兵を挙げると称して軍兵《ぐんぴょう》を集め、敵を討とうとしています。第二に、兵法に『本末前後あり』と言うように、まず五畿内の弱兵を攻め伏せて勢力を増やし、東海・北陸の強敵と和睦しながらも、後々討ち取るつもりでいます。第三に、中国・西海《さいかい》の弱敵には武威を誇示し、東北の強敵にはへりくだってなだめています。家臣団を強化して軍兵を多く集め、人に先立って京都を鎮めました。今の世で天下統一の大業を成し遂げるのはきっと信長でしょう。信玄・謙信・氏康は自分の領土を死守するだけで疲労し、いずれ滅亡すると思われます」
(続く)

 今回は、これまで名前が挙がっていなかった織田信長に対する評価が書かれていました。ご存じの通り、最終的に天下統一を成し遂げたのは彼の配下だった豊臣秀吉ですが、それは信長の功績あってのことです。
 なお、信長が今川義元を滅ぼした「桶狭間の戦い」が起きたのは「弘治《こうじ》二年」ではなく、正確には「永禄《えいろく》三年」になります。ご参考まで。

 続きは次回にお届けします。それではまた。


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