「玉水物語」の補足説明と考察
本エントリーは、「玉水物語」の補足説明と考察(雑記)から構成されています。ネタばれの内容を含みますので、作品を未読の方は十分にご注意ください。
1. 作品概要
「玉水物語」は「御伽草子《おとぎぞうし》」の一つで、作者は不明です。
この「御伽草子」とは、室町から江戸初期にかけて流行したジャンルの総称で、子どもや老人、女性向けに分かりやすく書かれた短編を指します。
一言で言うといわゆる「昔話」で、よく知られている「一寸法師」や「浦島太郎」なども「御伽草紙」に属します。
2. 作品のテーマ
物語のテーマは、大きく二つあると考えます。
一つ目は「他者との絆」で、特に物語の中心となっているのは、姫君と人に化けた狐(玉水)との「主従の絆」です。また、両親(養母と養父)・きょうだい・伯父との「家族・親族との絆」も描かれています。
二つ目は「仏教(法華経)による救済」です。これは主に伯父との会話として具体的に語られています。また、玉水のキャラクターは「人よりも信心深い狐」で、姫君に尽くした後に立ち去る姿は出家のイメージと重なります。
3. 狐の性別
結論から言うと、玉水の性別を特定する情報は原文中にありません。
狐の姿でいる時も、一人称や二人称は男女共通のものが使用されています。女性に化けて人と接触していましたが、雄の狐だった可能性も否定できません。ただ、姫君たちの記憶にある玉水が少女の姿をしているのは間違いないと思います。
4. 「玉水」の名に込められた意味
主人公に付けられた「玉水」という名は、「玉のように清らかな水」という意味になります。
性格や容姿の清らかさを体現した名前ですが、一方で長歌で触れられている谷川のように、水には激しい一面もあります。
また、玉水の最大の武器である「筆」が、長歌の中で「水茎《みずくき》」と表現されているのも興味深いです。
5. 物語のその後と、玉水が姿を消した理由(雑記)
以下、作品に対するネタばれや独自解釈が含まれます。
特に後者は作品イメージを損なう可能性がありますので、苦手な方はご遠慮ください。
物語のラストで、玉水は姿を消してしまいましたが、姫君は玉水のおかげで縁ができた帝と結ばれて幸せに暮らしました。めでたしめでたし。
――と綺麗に締めくくられていますが、実を言うとそのように単純な話ではありません。
確かに姫君は帝に愛されていたかもしれません。しかしながら、身分がそれほど高くないため(非摂関家の中納言の娘)、政治的な理由から后にはなれなかったと思われます。
つまり、あくまで後宮にいる数多くの妻たちの一人に過ぎず、しかも身分不相応の寵愛を受けることによって、格上の女たちから憎まれたことは想像に難くありません。
(『源氏物語』でも、光源氏の母親(桐壺更衣《こうい》)は帝から寵愛されましたが、父親が大納言だったために后になることができず、光源氏も帝位に就けませんでした。)
参内が決まったばかりの姫君に対して、玉水が「帝との別れ」や「出家」といったネガティブな話題を持ち出したのは、単なる嫉妬心からではなく、客観的に見て「幸せになれないかもしれない」と思われる状況だったと考えるのは、決して不自然ではありません。
姫君に託した「愛する人の心をつなぎ止める箱」も、いつか帝と引き離されることを予感していた証拠の一つです。
これらの事情は、長歌の締めにある「濁りなき世に君を守らむ」というフレーズが端的に表しています。
玉水は、姫君がこれから行く宮中が「濁っている」と思っていたため、「見守っている」と言って安心させる必要があったのではないかと考えます。
素直な心根と身分の低さから後宮で完全に孤立し、心を痛める姫君を、あの玉水が黙って見過ごすことができるでしょうか。
救いの手を差し伸べるために、再び姫君のもとに駆け付けたかもしれない――そんな可能性が本文から読み取れます。
また、上記とはまったく別の解釈も可能です。
狐の寿命は数年程度と言われており、玉水が姫君のもとで過ごした三年間はほぼ一生の年月に相当します。つまり、物語終盤の時点で寿命に近く、みずからの死期を悟った玉水が、姫君に迷惑を掛けないために姿を消したのかもしれません。(→コメント参照)
はかなくも死去してしまった玉水は、次はきっと人として生まれ変わったことでしょう。
――根拠のないただの妄想ですが、ひょっとしたら姫君と帝の間に生まれる子どもとして生を受けたかもしれません。その際は、前世で積んだ徳の報《むく》いであらゆる障害を乗り越え、「親子ともども幸せに暮らしました。めでたしめでたし」という結末になると思います。
ただ、人に化けることができる時点で普通の狐とは異なる「物の怪」と言えますので、長生きできた可能性も十分あり得ます。
少し話がそれますが、玉水が姿を隠した理由は他にも考えられます。
決別の直前、玉水は「これまで人に化けているのがばれなかったのは幸運だった」という独り言をつぶやいています。一見、あまり意味のないセリフに思えますが、実は「姫君と一緒に宮中に行くと、狐であることが露見してしまう」という危惧の裏返しになっています。
玉水が恐れていたもの――それは「犬」です。
平安時代の後宮に犬がいたことはよく知られている事実で、たとえば清少納言の「枕草子」には「翁丸」という名の犬が登場します。
高柳の屋敷は姫君の命によって犬が排除されていましたが、宮中のすべての犬を追い出すだけの力(政治力)は姫君にありません。
自分の身の安全だけでなく姫君の名誉のためにも、玉水が宮中に同行する選択肢は初めから存在しなかったと思われます。
(見方を換えると、姫君は帝か玉水のいずれか一方しか選べません。また、仮に玉水が姫君のいる宮中に駆け付ける場合は、かなりの危険を冒すことになります)
以上のように、「玉水物語」には様々な謎(ミステリ要素)が隠されており、これらを探すのも楽しみ方の一つと言えます。
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