現代語訳『伽婢子』 和銅銭(1)

 その昔、京都四条の北にある大宮の西側に淳和《じゅんな》天皇の離宮があり、西院と呼ばれていた。後に橘《たちばな》太后《たいこう》が住んだという。世が移り、かつての宮殿はすべて失われ、わずかに名だけが残り、今は農民たちが住んでいる。
 文明《ぶんめい》年間、長柄《ながら》昌快《しょうかい》という学業に優れた僧都《そうず》がいた。世を嫌って西院の里に草庵《そうあん》を結び、引き籠《こ》もって静かに仏道修行をしていた。
 ある日、怪しげな男が昌快の庵《いおり》を訪れた。年は五十歳前後で、その容姿はとても普通の者には見えなかった。上が丸く、下に角のある帽子を被《かぶ》り、身に着けている直衣《のうし》は浅黄《あさぎ》色で、細い糸で織られた生地は蝉《せみ》の羽のように軽やかで薄い。男は秩父《ちちぶ》和通《かずみち》と名乗り、昌快と差し向かって座り、様々な話をした。
「わたしは武蔵《むさし》国秩父郡の者で、少し前に都に上りました。それ以後、この国の諸国で足を運んだことのない場所も、見たことのないものもありません」
 昌快は「これは人間ではない」と思いながら、しばらく問答を続けた。男は真言《しんごん》三部の秘経、金剛《こんごう》界・胎蔵《たいぞう》界の曼荼羅《まんだら》、印明《いんみょう》陀羅尼《だらに》、灌頂《かんじょう》のことまで詳しく理《ことわり》を語り、その内容は昌快がまだ知らないことも多かった。また、世が移りゆく有様や今昔の話を、まるで自分の目で見たように語った。
(続く)

 今回から新エピソード『和銅銭《わどうのぜに》』をお届けします。物語の舞台である「文明」は、いつものように戦国時代の元号です。
 主人公の元を訪れた怪しげな男、世の中のあらゆることに精通し、仏教についても深く理解しているようですが、いったい何者なのでしょうか。一種のミステリ仕立てになっていますので、話を読み進めながら男の正体について考えてみるのも面白いと思います。

 続きは次回にお届けします。それではまた。


※Amazonでオリジナル小説『フルカミの里』を発売中です。
 (Kindle Unlimited利用可)