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『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』を読んで見つけたこと

元になった『走れメロス』を読む記事↓にめちゃくちゃ笑わせてもらったので、新作も追加されている書籍版も買った!!

この記事を初めて読んだ時、面白い一方で「二度とこんな純粋な感性で読むことは出来ないな」と少し寂しくもなった。

自分は子どもの頃から読書が好きで、学校の休み時間に教室に誰もいなくなっても一人で本を読んでいたこともあるくらいだった(友達はいたので安心してね)。

社会人になってからはご無沙汰していたけど、一方で外へ演劇を観に行ったりする機会が増えていく。芸術鑑賞は感性が無理やりにでも動くからいい趣味だと思っているが、私はどうしても感想を抱く時に「作者が伝えたいことを読み取る」方向性を重視しがちだ。時にこれがちょっとした悪癖としてはたらくこともあり、友人と感想を言い合っていても(あれ、自分の”純”な感想は本当にこれなのか…?)と感じてしまうこともあったりした。とは言え、人間少なからず何かに影響を受けて”感想”が構築されていくと思っているから、それが良くないこととは思っていないし、自分のそういう感覚は大事だとも思っている。

だけど…みくのしんさんの読書の向き合い方、あまりにも「純!!!!!」「直線!!!!!」すぎて、ひょえ~~~と感動すら覚えてしまう。何故か、不思議と、惹きつけられる。メロス記事自体がバズったのも、多くの人にとってみくのしんさんの読書が「なんか分からんけどスゴくイイ」みたいな感覚だったんじゃなかろうか。


例えば、ゲーム実況者。私も好きな人が何人かいるけど、苦手な部類に「実況と言いながらとにかくゲームの内容に茶々を入れる」タイプの人がいる。これに共感してくれる人の間でも色々と基準はあるだろうけど、そこそこ登録者数がいながらも伸びが続かない人はずっとこの姿勢でゲームのエンディングまで走っている印象があった(最近の人は観ていないので傾向は分かりません)。

これって恐らく有名な実況者のスタイルをちょっと誤解しているような節があって、例えばキヨなんかは今や登録者数も再生数も炸裂している超有名どころだけど、彼も割とゲームの内容に茶々を入れている印象がある。

…なんだけど、いわゆるバカゲーではないストーリー性の高いゲームについてはかなり真っ直ぐというか、エンドロールでは必ずゲームを肯定してくれる姿勢があって、観ているこっちも一緒に余韻に浸ることが出来る。お笑いみたいにツッコむ様子で面白くしつつ、ちゃんとゲームの本筋を外さずに読み取っていて、要するにゲームそのものを正面から楽しんでいる感じがあるのだ。

これを見て「ゲームにツッコミを入れていれば面白くなる」と思っちゃうと作品そのものに対してのリスペクトが欠けていると取られるし(そもそもゲーム実況自体が作品と作者ありき)、最初は面白おかしく観ていても、だんだん似たようなツッコミが増えてくるから、視聴者も食傷気味になったりするのだと思う。

ただ、ゲーム実況自体はほとんどの場合同人コンテンツとして始まるから、稼ぎとして成功するためにはセンスに加えてトライアンドエラーや研究も必要かもしれない。みくのしんさんはオモコロライターだから、メロスの記事にしたってある程度は「面白くしよう」という意思があるとは思う(天然ならもちろんすごい)。その上で、みくのしんさんの自我として「おかしいだろ!!」って思った部分は率直にツッコむし、感情が揺れた部分で実際に泣いたり、笑ったりしているのがほんと~~~に気持ちいいのだ。これは単にこの書籍がエンタメとして成立しているだけではなく「自分もこんな風に読んでみたい」と思わせられるチカラだ。教養として文学作品を見ることも重要だけど、読書としてここまで全力で楽しめる人は正直珍しいかも。そう考えると時代を超えて残る文学って本当にすごいんだな…。

これを読む自分は読書するタイプの人間だったので「こんなに作品に自分の感情をぶつけていいんだな」と感じられた。一方で、みくのしんさんのように読書に縁がなかった人にとっても”お勉強”の読書の第一人者である太宰治の小説をここまで楽しむ人間がいることは希望でしかない。映像コンテンツが消費される時代、まだまだ活字は楽しめる!!

帯の存在感

あとシンプルにみくのしんさんは描写を読み取る感覚が鋭すぎる。あそこまで拾っていたらそら時間もかかるんだけど(実際、自分はあれは出来ない)、小説は描写の一つ一つに意味があるんだと改めて思わせてくれた。何なら読書家の人よりも拾えてるかも。ただ、総じてこの本は「みくのしんみたいに本を読もう」ではなく、みんなが自由に読書に向き合っていいことを肯定してくれるから素晴らしいのだよな。

私はこれからも作者の意図を考えながら読書はすると思うけど、今までよりももうちょっと純に自分の感情を読書にぶつけられる気がする。私という人間が読むということは私の人生経験を元に作品を読むということでもあり、そこに作者の主張は介在せず、単に共感したり、出来なかったりという単純なことでいいのかもしれない。

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