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めぐりめぐる


楽しみにしていた本が届きました。
midoriさんの記事で 紹介されていたわくわくするような本

すぐに ベランダで 開いてみました。

むずむず。
お外でかけよう。

あ、そうだ。
あの木の下で 開いてこよう。

このところ、深い深いところへ 意識を集中させていました。

 撮り溜めていた『どうする家康』を 少し前に見終わりました。
 意外にも 次女が いっしょになって 見入っていました。

「大河ドラマは 一生 観ることないと思ってたけど おもしろかった。ちきしょー」
と言っていました。

わたしも 毎回 観るわけではないのです。
映画でもアニメでも ドラマでも 自分が観たいものだけ、観たくなった時に観ます。

物凄く遅れて観ることもあれば、いち早く観に行くこともあります。

すべて自分のアンテナ次第です。


それで、去年から 大河ドラマを続けて観ていて なんだか 切なくなってきました。

みんな、やり方はそれぞれではあれど、
世の中の平和を、争いのない国を、
そう願っているのに 結局のところ、自身の地位が高くなると 何もかもが手に入ることで 本当は何を求めていたのかわからなくなる者や、どんなに精一杯やっていても それぞれが 我が名を残すためと、自分が天下をとって 自分が平和にするという個人的な思いで 裏切る者や、どうしたって争い自体を好む者や、たくさんのまとめることのできない個人の欲望が溢れています。

平和になればいい。
それだけでは 平和になれません。

それは 時を経て ようやく繋がりも生まれて やっと願いはひとつになるかと思いきや、歳を取り、ひとびとがこの世から去り、そうしているうちに また若いものだったり、知らないもの同士の繋がりから 始めていくことがあったり。
また そこから 様々な欲望や 勘違いがすれ違って交差して 新たな争いが始まる。

天下をとった頃には 人を殺すことに慣れてしまう。
瞳には陰りが残っていく。


そこまでしても 争いは終わることはない。


悲しいです。

『進撃の巨人』も そういう話でした。
最終話は 震えました。


争いはどこにでもあります。
いろんな争いがあります。

終わらせたい、と思って 過ごしているけど 果てしない時の流れを 深く感じるだけしかできず 途方に暮れたりします。

思ってるだけじゃ何も動かないですが、どんな景色を見て、どう考えて、どんなふうに自分力を 鍛えるか、その先の精神的な景色はどんなものか、を 個人的な感覚ですが 日記の中に そっと綴ったりしています。

感じるのもまた自分力。
選ぶその力を見送りたいというか。

こんな思いも 自分勝手なのかもしれないです。

選ぶ選ばないは 人それぞれで
わたしが経験することはできない道のりを みなさん、歩んでいきます。
わたしもそうです。

その話を 心そのまんまを
いつか 聞かせてほしいなぁ、なんてことも 思ったりします。





あの場所に着いたので 本を開いてみました。


影も素敵です。

来る途中 太陽が 雲に隠れていたのですが
きっと 顔を出してくれるはず、と信じていました。

なんてきれいなんだろう。ほわわ~。
色に癒されます。
大好きな木ともお話しました。

小さい頃から 自然と いろんな場面でのバランスをとるのが 得意です。
故に(故にかどうかは わかりません) とってもマイノリティです。

その場で 意見を話し、
熱を上げて 口論しているところでは すぐに聞いてくれないことはわかるし、言い合うことで 論点がずれていくのも よくみます。

子供の頃は その空間が 嫌でたまらなくて よく胃を痛めていました。

いろんなことを経験していくと、
意見を言えるようになりました。


 今は 何が問題になっているかを 落ち着いて 伝えるのが 恐らく、得意です。

それで 解決をすることはあるのですが、熱を上げている人たちの中には やはり もやもやしてた思いが残るのも 感じます。


そのうち 嫌われることは 怖いことではなくなりました。
わざわざ嫌われることはないと思うのですが 感情的にならずに 説明した結果の それは 気にならなくなりました。


他人が何を言いたいのかわからないことが多くて いろいろ考えたりもしましたが 感情的な言葉は 説得力に欠けているのかもしれない、と 思ったりします。


何度も何度も 繰り返していくうちに
みんなが 行きづらいところ、集まりづらいところがなくなればいいと思いました。

が、新しい場所に行くと
また はじめからだったりします。


おもしろいというか。

人間はやはり苦手です。
命ある中の生き物としていちばん苦手です。

でも 魂は愛しく思うのです。

そして、
人間って おもしろい、とは思います。





あ。見てください。
太陽が本を真似てきました。ふふふ。

きれい。

この世の時間の流れが 尊くて 果てしなく続くように感じるけれど 形があるから 儚くも感じます。
いつかは 消えていくことは なんだか寂しいですもんね。
でも 死は卒業だと思うようになったので 寂しさはありますが 自分の卒業は たのしくやりたいなぁ、なんて考えたりします。


その大きな大きな流れの中に
わたしたちがいます。


二度と争うことのない世の中を 約束して この世の卒業を迎えた後、一旦 美しくなった景色を見渡せる場所から 何十年か 何百年か経った頃、そこに立って見る景色は、
新しい争いが 起きていて 見たこともないような兵器を使って 同じ命を殺め合うような景色でないことを 祈り続けたいです。


人間が 命を自由自在に操ってはいけません。
(この中にも いろいろな要素があります)

いつも うきうきわくわくさせてくれる木。

神様には祈りません。
だけど 最近 朝夕 ご挨拶をして
一日中、よく話しかけたりはします。

神様というのか、
自分の奥の、奥の、ずっと奥を超えて 宇宙に向かうところの光に 話しかけます。


綺麗事って 本気でやると とても大変です。
 醜いことや 汚いもの、見たくないものから目をそらさないように まっすぐ 向かわないと 本当の綺麗って見えません。
感じません。

道のりは簡単ではないです。


だけど、本気でやるからこその、
絶景はあります。


ね、アオサギさん。

ジブリの『君たちはどう生きるか』、まだ観ていません。
ちょうどいいタイミングで いつか観るんだと思います。

かっこいいアオサギがいました。
飛ばなくていいよ。
そこにいてください。
わたしは もう帰るから。

池が干上がっていて心配しています。
あ。川の中でも 太陽が真似して
話しかけてきます。
きれい。ありがとう、太陽さん。
この雲が可愛く感じて 見上げていました。
かわいい。



記事の図書館みたいなSNSがあるといいのになぁ、なんて思っています。

タイムラインを気にせず、いくつでも記事を書いてよくて、いいねとかスキもなくて 気になるものを たまたま触れる記事の図書館。


 貸し出しカードなんかがあって
そこに よかったな、と思う記事に サインをする。


そんなのがあってもいいなぁ。



 

midoriさん、素敵な本を紹介してくださってありがとうございます。

また 晴れの日に 持って 外に出たいです。


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