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備忘録と後日談 〜Bruno Peres〜

目を疑うようなタッチで観客を魅了する選手。驚異的なフィジカルで相手選手を悉く吹き飛ばす選手。出場せずともチームに欠かせない人徳を持つ選手。

愛される要素は十人十色で、各々が人々の記憶に残したものは、彼らがチームを去った後も、語り継がれ、愛される存在となる。
一方で、結局何が愛おしかったのか分からないヤツはたまにいる。

Bruno da Silva Peres。
ブラジル生まれの快速SBだ。


備忘録

Chap1. 伝説とローマ移籍

2014年11月、Derby della Mole。

爆速スプリントで自陣からボールを運び、力強く右足を振り抜き、ゴールを決めた彼は2年後、Romaにやってきた。

加入後まもなく、スターティングメンバーに名を連ねることとなり、シーズン終了後には完全移籍で加入。

伝説級のクリアをして見せ場を作ったが、母国ブラジルの家庭でちょっとしたトラブルが起き、一度帰国することとなった。

Chap2. 代替不可能

19-20シーズン。Paulo Fonsecaがやってくると、Brunoをイタリアに連れてきた張本人であるPetrachiの進言もあり、再びRomaに返り咲き、起用されることが増えていった。

両サイドのWBを主戦場とし、持ち前の瞬足でサイドを駆け上がっては立ち止まり、ボールを奪取され、毎週90分間シャトルランを続け、攻守に貢献した。右サイドではKarsdorpやSanton、Reynoldsを差し置いて、替えの効かない存在だった(ような気がする)。

そんな彼にはバラエティ能力を遺憾無く発揮する場面もあった。
動画を見ればわかるが、ユーモアセンス(?)の分野でも当時替えの効かない存在だった(のかもしれない)。

Chap3. 期待はしてない

20-21 SerieA 第19節 Spezia戦。
コッパイタリアでSpezia相手に奇怪な負け方をしたのは、数日前のことであった。Fonsecaローマのハイライトと言っても過言ではないあの試合である。

画像だけで誰もがわかる

その事件もあって、チームはどこか力んでいたのかもしれない。3-1となって勝利が確実視されたものの、後半2失点を喫してしまった。

不穏な空気が漂う中、92分。
左サイドを駆け上がったSpinazzolaがCristanteからのパスを受け、右サイドにクロスを上げた。そこにいたのはフリーのBruno Peres。ボックス内に侵入しつつボールを胸でトラップし、足元へ。しかし、その時には既にGKはシュートコースを防ぎ、DFは目の前にいた。

いつもの彼ならそこでシュートを打つ。

すぐMayoralに出せば入るのに!なぜ左を見ない!

これまでの度重なる落胆は彼への信用を損なわせつつあった。あの瞬間全世界のロマニスタは諦めたに違いない。僕は冬の早朝、自分の部屋で大声で叫んだ。

「やめろってまじ!!」

ポン。彼はボックス内にパスを出したのだ。そこにいたのはPellegrini。転がってきたボールを即座にシュート。ゴールの右上隅に吸い込まれていった。歓喜が爆発。コロナ禍で無観客試合の中も、我らのカピターノは華麗にユニフォームを脱ぎ捨て、走り出した。

Brunoのあの判断がなければ産まれなかったゴールだった。

2021年5月。契約満了でRomaを退団する。

後日談

Chap4. 新天地、そして再会

Roma退団後、彼は新たな土地でフットボールを続けることになる。

トルコのTrabzonspor。この年、元RomaのGervinhoやSerieAで長くプレーしたHamšík、Cornelius、Denswilといった選手も加入し、カルチョファンがイチモツをしごきたくなるようなチームになっていた。

8月、ECLでRomaとTrabzonsporは対戦する。凱旋にしてはなかなか早かった。スタメンに名を連ねたBrunoはCorneliusの得点をアシストする。

2試合の結果はどちらもRomaの勝利。

その後もトルコリーグでコンスタントにスターティングメンバーに名を連ね続けるも、シーズン終盤にアキレス腱の大怪我を負いチームの優勝を待たずして離脱した。

Chap.5 誕生と別れ

Brunoにはパートナーがいた。彼女の名前はGlenda Moretti。ローマ生まれである。恐らくロマニスタで、BPがトルコへ渡った後も個人的にオリンピコに足を運んでいたり、Romaのトレーニングウェアを日常的に着用していたりする。

まだRomaに所属していた頃、彼らは一人の女の子を授かる。

2022年の1月16日。Ilaryちゃんは産まれた。
未来のRomaのバンディエラの奥さんになりそうな名前の彼女は、BrunoとGlendaの愛の架け橋になるはずだった。

程なくして二人は袂を分つ。数ヶ月後、Brunoは別の女の乳を揉んでいた。

Chap.6 未だローマは心の中に

Glendaと別れてからといって親交がなくなったわけではなく、所謂親権のようなものは共有していたらしい。

Brunoはある日、ローマに住む二人に会いに行った。

『ジャンプしないやつはLazialeだ』
そう歌いながらIlaryを飛び跳ねさせるBruno。英才教育である。我々ロマニスティに子供ができた際、いの一番に覚えさせる歌はこれだろう。

2023年の夏、Brunoはトルコを離れ、帰国した。Athletico Paranaenseと半年間の契約を結び、契約満了で退団。現在はフリーの状態が続いているが、日々トレーニングに勤しむ様子をSNSに投稿し、各方面に猛烈アピールをしている。

2024年の5月、Tuttomercatoのインタビューに応じた。

ローマって土地はカオスなところなんだ。だけど、みんな死ぬほど愛してくれて、大きな尊敬と愛情を持ってるんだ。ローマで2年過ごした後で、親父とお袋の様子がちょっとイカれてたから、帰らなきゃいけなかったんだよ。その後で、トリノに戻ることもできたけど、ローマにいたPetrachiのおっさんに呼び戻されたのさ。

ローマに戻ることができたのは嬉しかった。俺が行くところはいつでも、そこの人たちから最高の言葉とハグをもらうんだ。あいつら俺のこと大好きだからね。忘れられないよ。だから、俺は今でもローマの試合を見ているんだ。

正直足の速さ以外に魅力を感じることはあまりなく、Romaでの晩年は相手に対峙されると足を止めてバックパスを選択する場面が多く見られた。

しかしながら、どんなにプレーがイマイチでも、感情を表に出し、チャーミングな笑顔を振り撒く姿に暴言を吐くことができるはずがない。全く嫌いになれない選手だった。

我々はBruno Peresの何が愛おしかったのか。

そういやあんなヤツいたなあ。
数年後、ジョッキ片手にみんなで笑い合うような時間に彼の名前が出てくれば最高じゃないか。


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