天皇の国ほめ歌。
編者の目線を問うことによって
自分なりに古典や
日本の歴史や文化と楽しんで遊んでほしい
編集に正解はなく
編集とは前後のつながりに対して
より善いか悪いか
価値観や状況に照らして選ぶことだ
そんな立ち位置から
古事記に謂う稽古照今
古を鑑みて今を照らす、ということを
命のやさしい宇宙にしていけたらいいかなと思う。
さて。
今日は万葉集の巻一のニ。
万葉集NO.2/4165
第34代舒明天皇(在位629〜641年)が
天香具山に登りて望国(くにみ)したまひし時の
御製歌
(※御製とは天皇が詠んだ歌のこと)
大和(やまと)には
群山(むらやま)あれど
とりよろふ
天(あめ)の香具山
登り立ち
国見(くにみ)をすれば
国原(くにはら)は
煙(けぶり)立つ立つ
海原(うなはら)は
鴎(かまめ)立つ立つ
うまし国ぞ
蜻蛉島(あきづしま)
大和の国は
大和には数々の山があるが
とりわけ美しいのは天香具山
登り立ち国を見渡せば
国原には竃の煙があちこちに立ち
海原には鴎があちこちに
美しい国だ
蜻蛉島(日本の)
大和の国は
天皇の仕事は国を見渡して
目に見える存在も見えぬ存在も讃え
その霊を鎮めること、励ますこと
それを国ほめ歌と呼びます。
蜻蛉、とんぼは豊作の象徴
天香具山はその美しさから
天から降ってきたとされる
美しい山。
兄敏達天皇の孫ら田村皇子か
聖徳太子の子、山背大兄王か
後継を指名せず崩御された
第33代推古天皇の後を継いで
田村皇子が舒明天皇として即位する
その御世は12年。
古事記が推古天皇で終わり
舒明天皇の時代に遣隋使ならぬ遣唐使が
始まることを考えても
推古天皇から舒明天皇へ移り変わるこの時代は
古代史上1つのターニングポイントでも
あるのでしょう。
飢饉も反乱もありながら
有馬温泉に行幸したりしてる。
安定した治世、という感じがする。
伝説の益荒男雄略天皇の恋の歌に続いて
新たな大和の歴史を開いた舒明天皇の国ほめ歌。
万葉集が幕を開けていきます。
ときに舒明天皇崩御の年は
昨年と同じ干支辛丑とのこと。
今年と同じ壬寅年に
新たに即位された35代天皇は
舒明天皇の皇后
ゴッドマザー皇極天皇(=37代斉明天皇)
天智天皇、天武天皇の母君です。
1380年前。
干支60年が23回まわった今。
やはり
やはり
今も昔も
変わらず時代の節目なのですねえ。。
感謝合掌