死にたいと思ってしまう
僕はほぼ毎日死ぬことを考えている。死にたいかと言われたらたぶんおそらく死にたいのだろう。死にたい、というよりは生きたくないの方が近いような気もする。ただただ死にたいのだ。死にたいと思うことに明確な理由なんてない。言ってしまえば積もり積もったものによって生きることに疲れてしまったのだ。
死ぬことについて考え始めたのは小学3年生くらいだった。死という概念について、死ぬとはどういうことなのかについてひたすら考えていた。この頃は未知の領域に対する興味だけだったと思う。
小学高学年から中学の間、所謂いじめを受けたり、デートDVやレイプを受けたり、精神的に追い詰められることが多くあった。しかし、この頃は特に死ぬことについて考えたりはしていない。ただ目の前の絶望に泣き喚いていた。
現在のように死にたいと思い続けるようになったのは高校にはいってからだ。学校生活以外でのしがらみがそれなりにあったとは言え、楽しい学校生活だった。それにも関わらず死にたいとばかり思っていた。考えていた。漠然と死にたいなぁ、と。それこそ、空気に溶けてなくなるように。
リストカットをしたいと思ったこともある。しかし傷を作ればすぐにバレることはわかっていたのでひたすら強く強く腕を噛んだ。跡が残らないことを確認してまた噛んだ。他には壁を殴ったりだろうか。自分のできる自傷行為なんてものは限られていた。痛みはどうしようもない気持ちを和らげてくれる。
死にたいという言葉がほぼ口癖のようになっていた。生きている限り死ぬことは考えるだろう。むしろ死ぬことを考えない人なんて居るのか?などと思っていたが、半年前、とうとう友人に「死にたいとか言わないでくれ」と泣かれてしまった。僕のことを大切に扱ってくれて、よく慰めてくれる友人。そんな友人を泣かせてしまったことに申し訳なさを覚えた。
友人を泣かせてしまった日から死にたいという言葉を使わないよう、言わないようにしていた。しかし、やはり考えてしまう。言わないようにすると、それに反抗するように頭の中は死ぬことでいっぱいになる。とうとう自身の首を絞めたり、首吊り用のロープを見に行ったり、どのようにして死のうか具体的に考え始めてしまった。
正直しんどい。死にたいと考えてしまうことがしんどい。考えなくていいなら考えたくない。日々元気に楽しく生きたい。なのに毎日死ぬことを考える、死にたいと思ってしまう。どうすればいいのがわからない。疲れた。疲れた。
今日も死にたい。