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相手のそれはHSPな自分にとってのこれ
こんにちは、MIZです。
先日、子どものゲーミングPCに不具合が起こりました。
やばい。
修理?買い替え?
いくらかかるの?
というのが最初の感想。
きっと多くの人は同じ感想を覚えるのではないでしょうか。
良くも悪くも、子どもにとってゲームは毎日の楽しみで、
まだ短い人生経験の中で最も長く続いている趣味。
「好きなこと」
それはわかっているので、すぐに修理に持って行きました。
私は幼いころや学生の頃、親を巻き込んで趣味や自分の好きなアクティビティに夢中になったことがありません。
部活はしていたけど、その練習や必要な道具を購入するために親に頼み込んだ記憶もなく、
その程度の熱量しか無かったんです。
今は手帳や紙ものを自分の趣味として時間やお金をかけている実感がありますが、
本当に、無趣味で自分の興味関心がどこに向いているのかわからない時期が長かったのです。
だから私の親も、当然自分の子どもが何に関心があるのかきっとわからなかったはずです。
私の親はそれで心配したかどうかはわかりません。
以前別の記事でも述べたように、
私は誰かに「それって何の役に立つの?」など生産性を疑われると、
簡単に諦めてしまう人間でした。
だから、
私は我が子に対して、そういう問いかけはしたくない。
生産性が無くても、続けることの大切や可能性についてはこれまで多少は学んだつもりです。
なので、「継続」できることが素晴らしいと考えています。
たとえ、ゲームについてその楽しさや魅力を私が理解できなくても、
我が子が無意識にでもそれを実感して飽きずに継続できているのなら、
私がしてあげれない何かをそのゲームを通して与えられてるんだろうと思います。
今回の修理費がいくらになるのか、
それは正直不安しかありません。
想像できることは、
もし、私の利き腕に支障をきたす出来事がおこり、ペンを握れないことになれば、
私は手帳を持つことやめくる程度しかできなくなります。
もちろん、生活そのものが不便になります。
でも、手帳は私の心の健康にとっても大事なものの一つなので、
大きな痛手になります。
我が子にとってのゲームと、私にとっての手帳は同じような役割なのかもしれません。
そんなふうに想像することはできます。
子どもに甘い部分も大いにあるのですが、
子どもの大事なもの、興味があるものを受け入れてやりたいというのも、
私が手帳術から学んだことの一つなのです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
MIZ
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