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本が読めない私。【リーキーアテンション】

人並みに理解は出来るし、考えることも出来る。
人並みに勉強もしてきた方だし、知識欲もある。

だけど私はどうしても、「本」を読む、ということが昔から人並み以上に苦手なのだ。

読書が苦手な私

読書が苦手だ。
国語の点数が悪かった訳でもないが、長文を読むのが昔から本当に苦手だ。

本を読もうと試みたことは、何度もある。
父親や、先生や、周りの賢い大人はいつも口を揃えて、読書しなさい本を読むことは大切だと言うし、自分でもそう思うから。

だけど私は、本当に本当に読書が苦手だ。
1度興味を持って手に取った本を、半分以上読み終えた記憶がない。度々断念してきた。

これは読書に限った話ではないのだが、私は小さな頃から注意力が散漫で、それは今も変わらない。

小学生の頃から「忘れ物をしない」、「身の回りの整理整頓ができる」といった項目には毎回最低評価が着いた。
朝読書の時間は本を読むのに集中できず、足をばたつかせたり絵を描き始めたりして、先生に怒られていたような。
中学では徒歩数分の距離のくせに、毎回始業のベルギリギリに駆け込んでは担任とセーフだアウトだ掛け合いをしていたし、高校では遅刻が多すぎて親の呼び出しをくらう羽目になる。

こう思い出してみるともう、今回のテーマ以前に問題が色々ありそう(てか多分それ)だが書きたいことはそこじゃないので、話を戻す。

とにかく私は読書を始めると、必ずと言っていいほど別のものに気を取られたり、あるいは1行読んだらその事について深く考えすぎてしまい、なかなか読み進められず断念したりする。

文字が読めないわけじゃないのに!

大前提私は、誰かの考えに触れるのが好きだ。
人と深い話をするのも好きだし、このアプリを利用している以上、何かを読むこと自体は好きなのだ。

本をなかなか読まないので、文の構成や、読み手に伝わりやすい書き方というのはなかなか取得出来ていないなと感じるが、こうやって自ら考えを文字にするのも、好き。

だけどどうも、見開きびっしりのあの文字を右上から左下へ読み進め、それを更に何ページもめくり繰り返し、目で追いかけ続けることが出来ない。

ひとつのフレーズの意味や、著者の言葉の言い回し、内容についてグダグダ考えすぎてしまう。
この表現、○○だなぁ。○○といえばあん時△△で、、、あそういえば××は、、、、。
どんどん本の内容と脱線していく。
私の脳内は、マジカルバナナかと思う。
(え、マジカルバナナ、伝わるのだろうか?)

読んでるつもりが、ふと気づけば文字の上を目でなぞっているだけ。読み返せば、内容が一切頭に入っていなかったり。
あれ、ここさっきも読んだよな?また同じ行を読んでしまった、が多発。

何より私の読書を阻害する一番の理由。
それは目や耳に入った別の情報に、興味が非常に移りやすいことだ。
LINEの通知が入れば返信してるうちに、今度は別のことをしだす。
にらめっこしている本のその奥に何か気になるものがあれば、そちらに気が散ってしまう。

読書するなら読書に全集中出来ないものか。
これは結構読書に限らず日常誰かの話を聞いてる時でも、起こりうる現象。

頭はフル回転しているのに、どーーも本を完読しようって意思だけは本当にすぐ飛んでいってしまう。

別に100%意識が切り替わる訳でもない。けどふと気づいた時には、自分は読書をしているのか、別のことを考えていたのか、あるいはそれらを並行しているのか、どちらもそっちのけだったのか、、
わかんない!もうやだ!むり!ぽい!⌒📕

こうなってしまう。

ちょっとずつ読もうとしても、一旦集中が切れたり完読を断念すると、可哀想なことにもうその本が再度開かれることは基本的にない。
罪悪感も拭えないが、無理なものは無理なのだ。
私は非常に気分が変わりやすく、興味も移りやすい。

だけど私は読書がしたい

私は人と話す時に、この人面白いなって思うことがある。
「面白い」にも種類があって、機転をきかせた場を和ますムードメーカーな人、あるいは深く感心できる、こちらの興味を引きつける話し方をする人がいる。
他の人がどう感じるか分からないが、私はどうも後者のタイプの人にとても惹かれ、「面白い人」だなと思う。
恨めしく思うくらいに、羨ましいし憧れる。

私はこういった人達の共通点、答えを知っている。
やっぱりね、そう。
「読書」を日頃よくしている人なのだ。

悔しい。私は、面白みのある人間になりたい。
もっと、私が他者にそう思うように、他者から賢く、面白い人だと思われたいのだ。

だから、だから本当はもっと読書をして、それで得た色々な知識を活かして人と話したい。

人と話して人脈を広げ、経験し、深みのある人間になりたいのだ、、、!! (( ; ; ))

この現象には名前が着くらしい

これって純粋に、私の集中力がないだけ?怠惰なだけ?
同じような悔しさを抱いている人が、ほかにもいないだろうか。

そうして検索をかけたことがある。
意外にも、私と同じ理由で文字を読むのが苦手、あるいは人の話を聞くのが苦手、と言った人が沢山いた。

ありふれた現象には、そのうち名前が着くものだ。
タイトルでも載せてるので勿体ぶる必要は無いよな。
「リーキーアテンション」
こう呼ばれるそうだ。

メンタリストDaiGoさんが取り上げている、、

簡単に言えばひとつの事をしながら別のことに半分、あるいは1/3意識を割いてしまう。
そういった現象のことらしい。

詳しいことはちょっと文字に起こすのが面倒くさい。
まぁ私みたいな現象が、人によっては日常茶飯で起こっていることなのだ。

関連して出てきた記事でいくつか、同じようにリーキーアテンションを取り上げてる方がnoteにもチラホラいたはず、、
掲載したいがキリがないので興味があれば調べてみて頂きたい。
きっと私より丁寧に詳しく解説してくださっている。
(そういうとこ)

起業の才能?

見出しにどかーーん。
何だかどうしようも無い短所が耳障りいい言葉に変換されているような。

とりあえずこういった現象は長所にもなりうるし、特性として存在するものだということも理解した。

リーキーアテンションの人は、そうでない人と比べクリエイティビティーが高くて、アイデアマンなのだそうだが。

他者とは異なる視点で何かをひらめき、それがとてつもない発見だったとして。

注意力散漫な私たち(というか私)は、果たしてそれを起業⇀成功まで実現するほどの忍耐力と集中力があるのだろうか。

あるいはそのひらめきを形にする段階で、別の興味に移っていってしまう可能性があるんじゃ無いだろうか。

裏を返せば注意欠陥・多動に近しいとも思えるこの特性を上手く活用していくための術として、やはり読書で学び、知識を得ることは必要不可欠であろうと私は思う。

前述したような私の理想の人柄になる為には、やはりリーキーアテンションと上手く付き合いつつ完読を志さなければならない。

まずは薄い本や、本の要約をしてくれているサイトなどを読みながら、少しずつ沢山の文章に触れていきたいと思う。

同じように悩む人や、現状上手く付き合っている人がいれば話を聞かせてもらいたい。。

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