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KAAT銀河が自分の中で解釈違いだった話

素敵な舞台美術に、銀河を思わせる青い照明、たっぷりと響き渡る生の音楽。

チューニングが始まって、ふと明るくなる舞台、真っ白な衣装を纏った、あれはトシなのかなが現れて、賢治と見て取れる人物がそれに続いて現れた。銀河鉄道の夜だけでなく、それに伴う賢治の言葉、静かに流れる星巡りの歌に、最初の時点で涙してしまった。

なのに、それがふと冷めたのは、アメユキ(トシじゃなかった)が歌い始めたことで、ガラガラと世界感が崩れた。歌うのはいい、舞うのもいい、笑うのも、声をかけるのもいい、ただ、なんだあの歌い方。この方が普段どういうふうに歌われる方かはわからんが、え、この世界観でその歌い方なの?!と衝撃。演歌のような、民謡のような、酔っ払ったお客さんがしゃくりとこぶしを多用して歌うような歌い方。音楽性違いすぎないか?!

アメユキの存在が、トシのような立ち位置で、少女のような、老齢を感じさせない人物像なことはわかる。それ故の、子供っぽく歌うっていうのもわかる、でもそれがズレているというか、子供っぽくうたうなら、そんなにシャクリやこぶしをいれないだろうし、そもそもバックがオケだから、あってない。
折角賢治からインスピレーションを受けている素敵な歌詞なのに、まず何言ってるかわからない。それが気になりすぎて、内容も入ってこないし、むしろこのシーンに今歌が邪魔だと思えてしまう。
306番のミサを、ミサらしく歌い上げるのであれば、アメユキの歌も、もっとクセなく、歌詞の言葉を私達に送るように歌い上げてほしかった。わからないよ、この方が普段からこういう歌い方なのであれば、ここはおまえのライブじゃねえんだぞっていう怒りがこみ上げてしまいそう。

それでも、その歌を気にしなければ、私の思う銀河の世界観、夏なのに少しツンっとした空気が流れているような感じが残されたまま、物語は進んでいく。
銀河ステーションのシーンの音、舞台転換、照明には目を見張り、こういう銀河見てみたかった!!という気持ちで、ワクワクとその行く末を見守っていた。ザネリが川に落ちるシーンを流された時は、え、ここでやるの?!と驚きもあったが、よりわかりやすくはなっていたのかもしれない。
なのに、なぜそこで休憩を入れたのですか。換気のためかもしれないけど、やっぱり汽車に乗って盛り上がって、クルミを掘って、さあ次は鳥取りだね、と思ったところでの休憩。世界観に入り込んでいたのに、突然そこで置いてけぼりにされたような、肩透かしをくらったような感覚。

これを崩すのが嫌で、椅子でじっとしていたけれど、席が一番後ろのオペ卓前だったせいで、休憩中の卓での反省会みたいなものがすべて筒抜け。このシーンの照明は、次の照明は、この音は、ネタバレほどにはいかないけど、そういうのは客にバレないようにやってくれよ!!
この卓は上演中もうるさくて、静かなシーンでも、ゴソゴソガサガサ、台本か何かを落とした音も聞こえ、俳優のアドリブかなのときには、笑い声すらも聞こえ、周りの客のほうがよっぽど静かで、後からの音がうるさくて堪らなかった。音を立てないのが難しいのもわかるし、素敵な舞台にするために大変なんだな、頑張れとも思うけど、それを客に見せないようにするのがプロの仕事じゃないの。作品に関わってるあなた方がうるさくてどうすんの、と、改めて客にバレないように、だめなことは包み隠して、完璧にする責任を、肌で感じた。頑張る。

背後の音と歌のクセに気を取られながらも、後半改めてやってきたカンパネルラの入水のシーン。ザネリと家庭教師が、同じ俳優なのを活かした演出はとてもよくて、蠍の話、カンパネルラ、ザネリ、家庭教師の交錯していくシーンの難しいところを、とても面白く表現してくれたなと感服だった。

消えてしまったカンパネルラ、目が覚めて、川を見に行ったら、集まる人だかり。でも、なぜか、そこにザネリがいる。なんで?!え、おまえさっきカンパネルラが、「ザネリはお父さんと一緒に帰ったよ」っていってたじゃん。ここにいんの?!これに関しては私の解釈違い過ぎてびびった。ザネリしかも喋るんかい!!!そこでジョバンニに話しかけて、そっとジョバンニがザネリを抱きしめて、泣くシーン、果たしてここはいるのだろうか、すごく蛇足じゃねと思いながら見てたら、更に蛇足が。
ええっ!?カンパネルラおまえでてくんのかよ!!!いや、きっとそれはジョバンニの妄想というか、心の中での会話だったんだろうけど、そこ会話しないでほしかったんだよね。ラストで烏瓜を持って皆が踊る中、ふと現れるカンパネルラ、あれが良かった分、ここに絶対いらねえだろと、原作につけられたいらん装飾にやきもき。

更に追討ちをかけるように、ジョバンニとカンパネルラが会話すると、アメユキがライブのオーラスのように歌い出した。音楽もどんどん盛り上がる。え、待って、そこはもうジョバンニが静かに銀河へ続く川を見るシーンじゃないの、なんでドンドン盛り上がっていくの、お願い落ち着かせて、私の中の銀河はここで落ちついて、たっぷり余韻を残して現実に引き戻してくれるものなの、なんでそんなに盛り上がってるのやめて。賢治がリフレインのように同じ言葉を投げかけてくれて、ならそのシーンだけでいいって、そのライブ感いらん!!と思ってたら、なんかそのままカーテンコール。うっそでしょ、完全にこれアメユキのライブじゃねえかって思いながら、全員礼をして、ハケて、音楽も終わって、うわ、すごい落ち着かないまま終わるじゃん、これで帰らせられんのって思ってたら、改めて出演者でてきて、無音状態でカテコしてったんだが。



じゃあ最初からそれでやれ!!!!

なんで、一回ライブしてったの?!一旦、我々もあなた達も落ち着いた上で、カテコ来てくれればいいよ、そんな焦ってさっきする意味なかっただろ!!!!

と、先程の絶対いらねえライブカテコに余計に腹がたった。
そうして、ゆっくり照明が銀河を思わせるようなものに変わり、客電がついた。

最初からそうしてくれ!!!!

その、誰もいない川から続く銀河の様子が見たかったんだ私は!!!

今回で銀河を見るのは4回目だったけれど、ここまで解釈違い、蛇足の多い銀河は初めてだったかもしれない。
これは演出なのか、脚本なのか、歌なのか、スタッフなのか、もう何がどうなってこうなったのか理解できないとこが多すぎた。

けれど、作品としての質、魅せ方が素敵なところがとてもあって、やっぱり銀河はいいよねえ。舞台でやる意味というのは大いにあった。
でも気持ちとしては、有名漫画が実写映画化して、注目度も高い中、原作を知らない俳優目当てのファン達が、面白かったといい、期待していざ見に行ったら、解釈違いで、実写のために余計な装飾を入れられて、全然面白くなかったと激怒する原作ファンの気持ち。

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