ちょっとまずいな

人間の仕組み的に夜の方が思考回路は悲観的に被害的になりやすく、朝になって太陽光を浴びた方が建設的な思考になりやすい。
そもそも人間は昼行性てことなのかな?生物学そこまで詳しくないからわからないんだけども。
でも農耕を始めたってことは昼間の活動にせざるを得ないだろうから、生物学的には知らないけど文明の発展とともに昼行性が有利にはなるかもしれない。

寝て起きたらそこまで破滅的な感情っておさまっている事が多いのだけど、今日はあまりそうではない。
まあまあ死にたぃ。まずいなと思う。

どんなに希死念慮が強くても今まで死んでいないので多分そう簡単には死なないし、そもそも朝の方が良いとはいえ思春期の頃ぐらいは朝も昼もないぐらいずっと荒れ狂っていた。死にたかったし自分に傷ついて欲しかったし寂しかったし苦しかったし飢えていた。

あんなんでも何とか生き延びて真っ当な仕事に就いて暮しているので、そんなに簡単には死なないだろうけど。
死にたぃ、もそうなんだけど、生きたいが減ってきている感じがまずいのだと思う。

年齢を重ねると若い時よりエネルギーが落ちるし衝動と呼ぶような激しい物は減る。
死にたぃもなんか今すぐ刃物を自分に向けて泣き叫びたくなるような衝動じゃなくて、仕事辞めて部屋片付けて、どこで飛び降りるのが1番効果的だろうって考えるような穏やかさだ。
いなしながら平然と暮らすには随分とやりやすい感情になった。

でもその分生きたいも減っている気がする。
目減りして、まだ底をついた感じはしないけど、なんだか心許ない量になっている気がする。
どのぐらい残っているか覗き込むと私の死にたいが悪さをして残っている生きたいを掬いだして捨ててしまいそうなので、一体今どのぐらいなのか、安心できる量なのかが分からない。
水位を上げようとしても中々上がらない感じがする。楽しみなことや大事な約束はたくさんあるし、多分私がいたほうがいいこともたくさんあるんだけど、それで水位が上がる様子が感じられない。

むしろ、なんか楽しいこといっぱいあったし悪くない人生だから、もういいかな、とさえ思う。
いや、もういいかな、じゃないよ。
良くない良くない。

良くないんだけどもどうしてもそう思う。目減りした気持ちが原因なのか、もういいかな、と思うから目減りしたのかはよく分からない。

全身打撲で即死できればいいのにね。

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