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message ある日…そして

感情は生き物らしくて素敵だ。
・・・だなんて、今は心から思えるだろうか。

どうして初心の心を忘れてしまうのだろう。
感情が無くなって 生きているのか否かわからないまま
1日を過ごす。そんな毎日が続いていた時もあった。

寂しいはずなのに 誰かを求めることもせず、
怒りがあるのに  吐き出すことも ノートに殴り書きをすることもなく。
面白いはずで笑っているはずなのに、 雨戸をも閉め切った内側の窓に反射して映る自分は何者なのか。 そんなことすらをも考えず。
今が朝なのか夜なのか ただただ 起き上がるのは トイレに行くとき
水や薬を飲むときだけで 布団にひたすらに潜っていた。

ケータイを開き、ネットショッピングをする人でもないのに
某ショッピングサイトの カートには いつも ロープをいれていた。

まだ生きているのかを知りたくも、部屋にはカッターがない。
臆病且つ人様に心配をかけたくなかった。はさみで何度も何度も
腕に傷をつけた。

そんなある日 テーブルの上にある一冊のノートに日記を書いてみたいと書き出した。
・・・もったのは1日。3日坊主にもならないくらい無気力だったのであろう。
書いた文字は たったの4文字。その時の切実な願望であったのだろう。
「〇にたい」と。

人の温もりを知った。

彼女は なぜ こうなっているのか 深く問い詰めることもせず、
何も言わず ただただ抱きしめてくれた。

その時 たくさん泣いた。大人でいながらも、大人になり切れなかった。
子供の様に 大声で泣き叫んだ。

・・・愛されたかった。
温もりが欲しかった。

そんな過去があった。戻りたくないと思った。
・・・人から愛されたかった。その時の様に。

どんな自分でも 自分という人間を認めてほしかった。
認めてもらうには 自身にムチをたたき続ければならない・・
(それが一番辛いことも 重々承知である)

何かしらを取り組んでいないと 自分という人間を認めてくれる人はいない。
今もその思いが強い。
だからこそ他者からの評価や承認欲求が強いのだと思う。

今までたくさん我慢をしてきた。
大人になった今も 「甘える」ことが「=わがまま」だと思い、
弱いのに 甘えを見せることは 他人を傷つけると思ってしまう。

それでも、生きていたい。
どうせ終わる人生だからこそ
人と向き合い 不器用なりに人を愛し
ちゃんと愛されて 生涯を終えたい、と思った。


過去についた傷は経験と思い
分からない将来のことを考えて不安になるよりも
今という時間に目を背け、手遅れにならないでいられるように。

・・・「わたしはわたしで 他の誰かの代わりなんていないんだよ」

好きなように生きていけますように。
誰かに愛を注いでもらっている時だけでも 誰かを愛おしいと愛を注ぐ自分を。
その自分が好きになれますように。

今の私から。 

もう頑張りすぎないで、ね。

 


 

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