人生2度目だと思ってる~ノストラダムスの大予言
いつだっただろう。
1999年の7の月に人類が滅亡すると知ったのは。
私は、たいがいの事はいつ頃だという事を記憶している。しかし、あまりにも衝撃的でくわしく覚えていない。小学校の中学年くらいだったような気がするのだけど。
ああ、1999年の7月になったら人類は滅亡して、みんな死んじゃうんだ。
そう思ったら、怖くてたまらなくなった。
それは、ノストラダムスの大予言。いつの頃からか大流行した。その内容は日本中の子供達のやる気を削いでいったに違いない。
1999年の7の月に空から恐怖の大王が来るだろう
恐怖の大王って?
爆弾?UFO?宇宙人?
子供の頭で考えても分からない。TVでは特集が組まれ、大人達がなにやら言っている。
怖い、怖い、怖い。
死んじゃうのは嫌だ。
友達とも家族とも離れたくないよ。
そんな思いが一杯で、私は小さな胸を痛めていた。
Wikipediaを貼ってみる。
これによると、私が知ったのはどうやら1979年あたりの事みたいだ。小学3年生くらいで、何となく記憶と合っているかもしれない。
とにかく、学校でもどこでも、この話題で持ちきりだ。そして、なにかあればこう言うのだ。
「どうせ、人類は滅亡しちゃうし。」
この言葉は便利ではあったが、やはりいつまでも使えない。とりあえずその時までは20年はあるのだから。
人の世は移ろいやすい。
それは、ノストラダムスの大予言にも当てはまる。
あんなに怖くてたまらず、大流行したノストラダムスだったが、いつの間にか少しずつ少しずつ誰もが口にする事は無くなった。
ところが、である。
私の胸には、「1999年の7の月」が深い所にインプットされていた。
普段は思い出す事はないけれど、何かのはずみに「1999年の7の月」がひょっこり顔を出すのだ。「どうせ、後〇年だしねー」などといった具合に。
1999年が近づいてくる。
あの小学生だった子供の私は、大人になっていた。
中学生になり、高校生になり、社会人になり。
恋愛もして、結婚もして、娘も2人産まれた。
本当に、人類って滅亡すんのかな?まだ私は、心のどこかで考えていた。1人だけ死んじゃうのは嫌だけど、みんな一緒ならいいのかな。
そして、ついにやって来た1999年7の月。
この頃は、マスコミでもちょっと話題になったような覚えがある。
毎日、自分の中でカウントダウンが始まった。
でも、いくら悩んでいても日常の生活がある。家事、育児、仕事。同居していて気疲れして、さらに義姉の子供達も預かっていて、こっちも気疲れ。毎日がクタクタで、滅亡するならしてもいいやという日々だった。
そんな毎日で、ついに7の月も終わった。
何事も無く、あっけなく終わったのだ。
ノストラダムスの大予言は大ハズレだ。ホッとするやら何なのやら。
あれから22年の月日が流れた。
四十にして惑わず、五十にして天命を知るというが、私はサッパリできないでいる。
私はいまだに迷ってばかりいるし、天命どころか浮ついてばかりいる。
私が若い頃、50代の人は大人に見えた。今だって、私にはみんなが大人に見える。私ばかりが子供っぽいような気さえする。
でも、ある意味仕方ないのかもしれない。
私は1999年の7の月でリセットされたのだと思う。翌月から新しい私に生まれ変わったのだろう。その日から2度目の人生が始まったのだ。
そう考えると、私はまだ22歳だ。浮ついていて、未熟でも当然だと思う。22歳だと人生まだまだこれからではないか。「もう歳だから」とか考えず色々な事にチャレンジできるし、何者にもなれる。
こう考えると、ノストラダムスも悪くなかったのかもしれない。もし叶うのなら、予言を怖がっていた子供の私に言ってみたい。
「予言は外れるから安心して。あなたは無事に成長して、色々な経験を積んだ大人になっているから。辛い事もあるけど、予言の後は2度目の人生を楽しんでいるからね!」