今になって気づいたこと
父の内縁の妻Hさんと連絡を取るために
父が最期にどこに住んでいたのかを調べることに。
前回の弁護士さんとの話はこちら。
父の戸籍の附票を取ったらどうですか
と弁護士さんからアドバイスをもらった。
戸籍の附票は、本籍がある役所で取る事ができる。
が、父の本籍は?
本籍は自由に変えられるので、変わっている場合もある。
そもそも、私が結婚する前の本籍がどこだったのか、実家も引っ越しているし、覚えていない。
附票に辿り着くまでの手続きは、私の住民票がある市役所の窓口で相談した。
事情を説明したからか、温かく丁寧に教えてくれた。
まずは、
私の戸籍謄本を取れば、結婚前の戸籍の筆頭者(父)が書かれていて、その時の本籍がわかるとのこと。
結婚前の本籍は、父の実家だった。
(番地まで覚えていなかったので、一応、Googleマップで検索して確認した)
その本籍は、私が結婚する前のものなので、父の戸籍謄本を取って、本籍が変わってないか、そのまま窓口で申請して確認することに。
父の戸籍謄本は、父と母が結婚した時からのものを出してもらった。
窓口で、出してもらった戸籍謄本を見ながら、「本籍は変わってませんね」など、説明してくれたのだけど、
私の目に真っ先に入ったのは、
“死亡”の欄の“届け人”の名前だった。
それは、父の妹で、付き合いのない私の叔母だった。
私は見た瞬間に窓口で泣きそうになったのをぐっとこらえて、戸籍の附票を郵送で取り寄せる書類の説明を受けた。
書類をもらって、駐車場の車に戻って、もう一度、戸籍謄本を見た。
家までの帰り道、涙がこぼれた。
なんで泣いてるのか?
自分でもよくわからなかった。
父が亡くなったと知った時の衝撃以上のものがあった気がする。
死亡の欄には“届け人”のほかに、死亡日、死亡時分、死亡地などが書いてあった。
時間というのが、リアルに亡くなったことを想像させ、ショックだったのかもしれない。
それよりも、父の妹の名前があったことが、ショックだった。
もしかすると、Hさんは一緒にいなかったんだろうか。
寂しい最期だったんじゃないか。
というのも浮かんだし
いくら付き合いがなくなってるとはいえ、親族が知っていたなら、なんで一年以上も連絡がなかったのか。
という疑問も出てきた。
連絡を取らなかったこと、
冷たい子供たちだと親戚たちは思っていたんだろうか。
父も、子供たちから連絡がないことを寂しく思っていたんだろうか。
父からすると、子供から見放されたという思いがあったかもしれない。
なんで、連絡を取ろうとしなかったんだろう。
特に深く考えていなかった。
父の連絡先を知らない
と思っていたけど、昔は用があったら父の会社や、早い時代から持っていた父の携帯に電話していた。
私が結婚したあとも、一度用があって電話をしたことがあった。
そのあと、わりとすぐに父から電話があったこともあった。
「東京に来てる」と言っていた。
私は関東に住んでいた。
お互い会おうとは言わず、電話を切った。
夫は、「あの時、お父さんは会いたかったんじゃないかな」と、これまでも何回か言ったことがあった。
その頃、私は、父と電話で話す時、手が震えるくらい、緊張なのか恐怖なのか、ストレスがあったのだった。
今は、あまりはっきりとは覚えていないけど。
その最後の電話の時は、固定電話にかかってきたのは覚えている。
私はまだ携帯を持っていなかったか、持っていたとしても父は私の携帯番号は知らない。
私はそのあと引っ越しを繰り返しているので、私がどこにいるのかも父は知らなかったと思うし、父から私に連絡することはできなかったのだと、今になって気づいた。
ひどい娘だ。
父が亡くなっていたと知った時は、30年会わなかったことも、それほど後悔はなかった。
この日は、いろんな後悔が出てきた。
この日の夜、あまり眠れずに、明け方に大泣きした。
夫と猫を起こさないように、声を出さないように大泣きした。
戸籍の附票は、郵送してもらうよう、父の本籍がある市役所へ必要な書類を送った。