届いた返事には
手紙を送って一週間経った頃から、気持ちが落ち込んでいた。
電話やメールでの連絡がないということは、きっと会うつもりがないってことだろうと。
手紙を送ってから10日経った日
返事の手紙が届くような気がした。
夕方、郵便受けを見ると白い封筒が見え、
来た
とすぐにわかった。
中には何か書類が入ってるような分厚さだった。
急いで封を切って読む。
私からの手紙を受け取った日付が書いてあり、
そのあとは、父の病気の発覚から亡くなるまでの経緯が日付とともに書いてあった。
2年前に癌の告知をされて、2回手術をしたこと。
それ以上の化学的治療はしたくないという本人の希望で話し合い、
在宅介護、在宅看護をしたということ。
自宅で亡くなったこと。
一年後に納骨と永代供養をしたのでお墓はないということ。
お寺の名前も書いてあった。
父は年金で生活していたので生命保険に加入はしていないということ。
負債は自分の知る限りはすべて終了しているのでないと思うということ。
厚生年金が遺族未支給で保留になっているので問い合わせてみてほしいということ。
申し訳ないが、会って話したいとは思わない
ということ。
他に自分でわかることなら電話でと、自宅の電話番号が書かれていた。
死亡届と火葬許可書、厚生年金の関係など、書類のコピーが同封されていた。
死亡診断書に書かれたクリニックの名前から、在宅医療専門のクリニックで診てもらっていたのだという事もわかった。
夫が部屋に入って来て、広げた手紙と泣いてる私の顔を見て
あ…来たんだ
と。
会いたくないって?
と言いながら渡した手紙を見た。
「この人すごいね」
と夫が言った。
こちらが聞きたかったことすべてに答えて、書類も用意して、このタイミングで届いたってことは、手紙を受け取ってすぐに送ってくれたってことでしょ?
と。
うん。すごい。
そういう人だと思ってたよ。
何となく誇らしかった。
でも、
癌がわかってから亡くなるまでの9ヶ月、どうしてその間に連絡をくれなかったのか
在宅看護を受けていたなら尚更。
という気持ちが込み上げてくる。
それは、恨みとかではなく、ショックだった。
父が連絡しようとしなかったということだから。
したくてもできなかったのか、したくなかったのか、
子供たちから縁を切られた
と思っていたんじゃないか。
色んな後悔がまた出てきたし、
色々思って、一日中、泣いてばかりの数日だった。
Hさんが「会って話したいとは思わない」
と言ったのもショックだった。
冷静に考えたら、そりゃそうだよな
と思ったり
でもその真意はわからないのだけど。
Hさんと会って父を感じたかった。
父の気配に触れたかった。
それでも、
父が化学的治療を拒んだ事、話し合って在宅看護を選択した事、お墓を持たなかった事
そのすべてがいい選択をしたと思うし、
父の希望どおりにしてもらってよかったな
しあわせだったね
と思い、Hさんに感謝している。
そして、
年金で暮らしていたということなど
手紙に書いてることすべて、嘘がなく、全部を信じられた。
私が知る父は、私が子供の頃から高級車に乗り続け、高級時計をつけ、現金がたくさん入った分厚い財布を持つ人だった。
趣味や食事など、お金の使い方も派手だったと思う。
私たち家族にも経済的に困らないようにしてくれてたし、贅沢もさせてもらった。
戸籍の附票から住所がわかった時、Googleマップで住んでいたマンションを見てみた。
私が想像するのとは違って、地に足がついた生活が想像できた。
手紙に書かれていたことから想像するものとも一致した。
晩年は質素に暮らしていたんだろう。
それを本人がどう感じて暮らしていたかはわからないけど、よかったねと思えた。
家でごはんを食べ、家でくつろぐ父を見た事がない私は、
そこでのHさんとの生活を想像して、きっとしあわせだったな
と思って嬉しかった。