#73|「河童(かっぱ)」のお名前統一は、あの文豪のおかげ。河童概論。
好きだから伝えたい!と、創作の原点のエネルギーでスタートした『妖怪note』も9本目になりました。
いつも読んでくださってありがとうございます!
せっかくなので10本目指したいと思います。キリがいいしね。
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さて今日はみんなご存じ「河童」を深めてみます。
なにせ、日本三大妖怪の一角ですから!
日本三大妖怪は「鬼・天狗・河童」。鬼については書きましたから、残り2つも書いておきましょう。
全国「河童(かっぱ)」で通じるのは、芥川龍之介のおかげ
忌日(命日)が『河童忌』と呼ばれるほど、芥川龍之介と河童の縁は深く、河童好きが高じて『河童』という小説を書いたほどです。
この『河童』の本、冒頭に注意書きがされています。
どうか Kappa と発音して下さい。
-『河童』 芥川龍之介
当時の人気作家だった芥川龍之介が書いた一文のおかげで、「背中に甲羅を背負い・頭にお皿があり・川に住むいたずら好きの妖怪」は名前が「かっぱ」に統一されました。
それまで名前がバラバラだったのです。「背中に甲羅を背負い・頭にお皿があり・川に住むいたずら好きの妖怪」は。
青森県では「メドチ」
関東は「かわわらわ」「かわっぱ」
関西は「かわたろう」 など
そして芥川龍之介が生まれ育った東京では「かっぱ」と呼ばれていました。
芥川は自分が馴染み深い「かっぱ」という名前を世に浸透させたかった。だから小説『河童』を書いた際に、読み方の統一を図った、と考えられています。
私たちが今、
この妖怪について話すときに「かっぱ」で通じるのは、芥川龍之介のおかげなのです。
河童の姿かたちが現状になったのは江戸時代のこと
またそれまで様々に描き表されてきた河童のビジュアルを、
「背中に甲羅を背負い・頭にお皿がある」と統一したのは、江戸時代の河童研究書(!)『水虎考略』の功績です。
妖怪が「絵」で流通し始めたのは、江戸時代のこと。
それまで書物の中だけに存在していた妖怪を、江戸の絵師たちが描き始めたのが始まりです。
きっかけは江戸時代の妖怪ブーム。
頻発する大飢饉や天災など人間の力ではどうしようもない社会問題を、当時の人々は妖怪の仕業だと解釈しました。
そして妖怪が一気に人々の生活に浸透していったと言われています。
江戸の絵師たちはこぞって妖怪画を描き始めました。ところが実物を見ることは出来ない対象物を、テキスト情報からビジュアル情報に変換する難易度は高く、実に様々な形に描かれていきます。
情報が雑多になれば、統一する人が登場するのも世の常。
当時から人気だった「河童」について研究したのが『水虎考略』であり、この書物の中でビジュアルの統一を図ったのが、江戸城御殿医で著名な本草学者でもあった栗本丹洲(くりもとたんしゅう 1756~1834)ということです。
栗本さんがいなかったら、今に伝わる河童は、また違った姿になっていたかもしれませんね。
ということで、今日は河童概論でした。
河童は相撲好きです。
人間を見ると「相撲しよう」と誘ってくることもあるとか。かなりの負けず嫌いなので、自分が勝つまで勝負をやめません。河童と相撲勝負になったら、程よいところで負けてあげてくださいね。
ではまた。
▼ 参考文献 ▼