#71|もう妖怪と幽霊を混同しない!これで万全、違いを徹底解説!
昨日の「夢は叶う!」投稿には、noteでもTwitterでも多くの応援と「励みになった!」コメントを頂きました。
あなたのコメントを見て、また私が元気を頂いています。エネルギーの循環が起きています!本当にありがとうございます。
で、今日はまた妖怪話に戻ります、まだ書いておきたいことがあるんですよ…!!
妖怪仲間が増えつつあります!
note公開をお知らせしているTwitterでも、「妖怪って面白い!」コメントを沢山いただいています。
ご紹介しきれなくてごめんなさい!
いつも読んでいただいて、本当にありがとうございます。
*
そしてnoteでも「妖怪」を記事として紹介していただいたのがマサタカさん!
じわりじわりと、妖怪愛好家が広がっていることに生きがいを感じるこの頃です。
*
妖怪noteの7記事目の今日は、混同している方も多いかもしれない!?このテーマ…
妖怪と幽霊の違い
そういえば。じっくり考えたことはないですよね(あったらすぐお友達にになりましょう!)。
足があるか、ないか?
姿かたち?
あとは・・・・
実は!
妖怪と幽霊は、そのルーツからして全く別のものです。
表にしてみました。
以下、補足です。
幽霊も平安時代からいる
妖怪が、いま私たちが馴染みのある姿として確立したのは江戸時代のことです。鳥山石燕(とりやませきえん)という浮世絵師が、雑多だった妖怪の形を統一したと言われています。
そして妖怪のルーツは平安時代、仏教の伝来までさかのぼる…という話は、こちらの記事で書きました。
一方、幽霊が登場するのも平安時代前後です。『源氏物語』『今昔物語』『日本霊異記』などの書物に、その登場が確認されています。
光源氏の恋人・六条御息所を思い浮かべた方もいるかもしれませんね。
江戸時代以降は、私たちに馴染み深い方たちが出てきます。『東海道四谷怪談』『怪談牡丹灯籠』。そう、お岩さんやお露さんです。
幽霊も妖怪と同じくらいの歴史を持つ。
ここを押さえておきましょう。
妖怪は場所に、幽霊は人に出る
妖怪は「すべてのものに神が宿る」と考える日本古来の価値観から生まれました。不思議な出来事や理解しがたい事象、また使われなくなった道具や器物、さらに動物や樹木など、本来は祭られるべき対象が祭られなくなり落ちぶれていくのが、妖怪の始まりです。
よって妖怪は、それぞれ本来の「居場所」があります。
山や川、海、里、屋敷などですね。自分固有の場所に人間が侵入してきたり、人間が妖怪を怒らせたりしたときに現れます。
妖怪が特定の人に憑りつく、ということはありません。
一方幽霊はその生い立ち(?)が「恨みを持って死んだ人の霊」や「死んだ後に供養してもらえなかった霊」です。恨みや寂しさを持って死なないと幽霊にはなれません。
ですから幽霊は、幽霊になったきっかけのある場所や人がいるところに現れます。恨みがあれば、たとえ遠く離れた場所でも現れてくれます。
またゆかりのある人のところに現れる心優しい幽霊もいます。自分が死んだあとも飴をもらって子を育て続ける、「子育て幽霊」が代表的ですね。
妖怪は化け物的な姿、幽霊は人間に近い姿
妖怪と言って思い浮かべるものたちは、ほとんどが人間ばなれした、化け物の姿ですよね。目が沢山ついていたり、顔が二つあったり、巨大だったり、空を飛んだり…
鬼太郎やねこ娘は人間の姿をしていますが、彼らは水木先生の創作キャラであり、ここで論じている「日本古来の妖怪」とは一線を画す存在なので、今は触れません。
妖怪が人間離れした姿をしているのは、元々が「神」だったからという説があります。神が人間の世界に現れるときに、人間と区別するためにあのような姿をしているのです。
一方幽霊は「人間が死後霊になったもの」であり、基本的には亡くなったときの姿を保持します。白い着物を着ているのは、昔からの死に装束だからですね。
ちなみに足がないのは、江戸時代の幽霊画家・丸山応挙(まるやまおうきょ)が描いた絵が始まりです。
一説には描いていた絵にお茶をこぼし、足部分の墨が流れ落ちてしまったとか…。しかし「かえって幽霊っぽいぞ」とそのまま売り出したところバカ売れ。以降、足がない幽霊が定番になったとか。
いつの世もマーケティングの鼻が利く人は強し、ですね。
今日は「妖怪と幽霊の違い」についてでした。それぞれが出やすいところ、正体もわかったので、ますます会える確率が高まりましたね!
明日は「妖怪カレンダー」を紹介します!お楽しみに。
▼マガジンはこちら▼
▼参考文献▼