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純文学考

官能と怪談を得意とするわたくしは自他共に認めるエンターテインメント作家(というのもおこがましいですがここはそういうことでひとつ)なわけですが、
時折、自著について「純文学である」というようなお褒めの言葉をいただくことがあります。


これは別に否定するようなことでもなく、むしろ光栄だと思っているんですけども、では果たして「純文学」って何だろう?とみなさま疑問に思うこともあるのではないでしょうか。
なんだか小説に限らず、映画やら演劇やら、あらゆる創作に褒め言葉として「純文学」という単語が使われることも多いかと思います。

「純文学」ってなんでしょうね?


コンテストなどのショーレース上の分類やいろいろな事柄によってこの言葉のカテゴリーはさまざまな解釈ができるようなのですが、私個人の、あくまでも私個人の考えとして「純文学」というのは「人間の思考と行動に対する考察発表」という感じなのではないかな?と思っています。


「人間ってこんな風に考えて、こんな風に動いて、そしてこんなトラブルが起こるよね」
みたいな。
そのところを研究し、小説に落とし込むと、いわゆる純文学らしい作品になるのかな?と。


なので、エロやら怪談やらのエンタメ系の小説を書いた時に「もはや純文学」とお褒めの言葉をいただいたとしたら、それは「人間あるあるがめっちゃよく書けてるわ〜!」くらいの意味なんじゃないかなと個人的には推測する次第です。
でもそれってものすごく嬉しい!
創作というのは「あるある」が描けなければ共感はしてもらえないので......!
しかしながらそこを百歩くらい飛び抜ける、度肝を抜かれるエンタメ創作というのもまた、あまたにあるのです。


まあそんなわけで、なんだか純文学〜と言われると高尚に褒められた気分になりますが、それはあくまでも方向性のひとつということで、エンタメより純文学が上だからすごい、みたいなことではないよなって思います。

もちろんどちらが好きかどうかで目指す方向はありますけどね!

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深志美由紀
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