束縛された人生を満喫
私はユダヤ教に改宗して
現在、多くのオキテを守って生きている。
自分で決めた事だけれど、
オキテに逆らって、
やっぱり「自由」に生きよう、
と思った時期もある。
しかし、
暫くすると、
自由は、私を混乱させた。
混乱の解毒剤は秩序。
秩序とは、
物事の正しい順序、きまり、道筋。
心を平安に保ち、
一日を充実させる為には、
生活に、何らかの順序や決まりが必要だ。
人生を謳歌している人は、
仕事以外でも
趣味や朝活をする時間を作り、
習慣化させている人が多い。
早起きは、
慣れるまでは大変だろうし、
仕事前に、
読書や散歩などする事を
自分に課すのは容易ではない、と思う。
スポーツや芸術/音楽活動で
成果を出している人は、
目的の為に、何かを犠牲にし、
練習時間を捻出しているのだろう。
つまり、
心の自由を得るためには、
時間の制限や束縛に耐える態度が必要だ。
自由と束縛。
まるで正反対と思われる状態は
並列して存在している。
私も人生のいろいろな地点で
朝活をしていた事がある。
朝日記、朝ヨガ、朝ピアノ、などなど。
仕事前に、
朝日記で自分の心を暴露し
その日に、したい事を羅列する。
朝ヨガで心身を鍛え、柔軟にし、
朝ピアノは私に自分らしさを与えてくれた。
たまに朝散歩もして
陽の光を浴び、深呼吸をして歩いた。
この時間のお陰で、
充実感や満足感が得られたのは事実だ。
しかし、半年ほど前、
夫が心筋梗塞になり、
大切な人を、また失う恐怖に苛まれた。
この様な時ほど
朝活が必要なはずだが、
大きなショックや不安を感じると、
私は心に鍵をかけ、
行動から身を遠ざけるクセがある。
家族とのバトル、
愛する人との別れ、
災害や事故との直面、
と言った危機に遭遇すると、
私は、何もできなくなってしまう。
私は、現在、
ユダヤ教の保育園の
保母のアシスタントとして働いている。
2ヶ月前、
夏休みが始まると同時に、
ヘブライ語での朝の祈りと
旧約聖書とユダヤ教の密教ハシディズムの学びを
毎日続けている。
祈りは、45分ほどかかり、
学びは、真剣に考えを巡らせていると
何時間もかかってしまう。
8月の終わりから、仕事が始まるので、
早起きをして、
仕事の前に、祈り学ぶ時間を作ろう、と
心に誓った。
祈りと学びという時間的な制約は
私に、心の自由と歓びを
もたらしてくれる、と既にわかっている。
束縛された人生を、
思い切り満喫し、
謳歌しようと思う。