許すことの大切さ。人生からリスクを無くす。
夏期休暇中。
お天気も不安定なので
少し仕事+雑用を済ませている。
映画からのテーマに着付く。
映画は大好きで
一人で良く見にいく。
気分転換にもってこいの時間。
過去見た中で
影響を貰った映画の中で
「レ・ミゼラブル」
私が観たのはミュージカルの方。
前評判もすごくてキャストも豪華。
私はこの映画を3度観た。
この中で描かれているのは
『許し』である。
主演のジャンバルジャンが
ひもじさの為に
一本のパンを盗むことから始まり
過酷な19年もの投獄生活を逃れ
寺院に駆け込む。
逃亡のために
お世話になった司教の場所で
金目のものを盗む。
追手が来た時
司教はジャンバルジャンの罪を
言わなかった。
司教の教えの通リ「正しい人」
でいるように
彼は努めるのである。
悔い改めるという事だろうか。
そこからジャンバルジャンは
名前を偽り、工場の経営で
成功をおさめて
多くの人を雇い、街の発展と雇用
経済に貢献し
市長になるのだ。
運命の歯車によって・・・
ある日、
馬車の下敷きになって
身動きできない老人を
救い出すのだが
その行為が宿敵ジャベールに
「ジャン・バルジャン」を
思い出させることになる。
そこから
再び娘コゼットを連れ
逃亡劇が始まるのだ。
娘コゼットやマリウスのお話も
混ぜながら
フランス革命を挟んだ映画は
とても見ごたえがあった。
フランスの犯罪者で
怪力の持ち主
ジャン・バルジャンは10年間で
脱獄と逮捕を繰り返して出獄後
パリ警察の密偵となった人物が実在の
モデルと言われている。
「許し」とは。
コロナ渦で失われた3年間を
取り戻すべく
今年の夏は規制を取り払い
実家へ久しぶりに戻られたり
にぎやかな団欒を持たれる方が
おられるだろう。
それでも
人と接触を断たれた
世界の3年間の代償は大きい。
家族間の中で
温度差が出来たり
仲間同士でも
ギクシャクしたり
人とのお付き合いの中が
上手くいかなくなっている人が
増えている気がする。
いさかいがあって修復できない…
最初の頃は
コロナ渦で外出禁止が正しいと
強いられていた。
感染を恐れるあまり
コミュニケーションに
温度差が生じ
付き合いが疎遠になった身近な
例を知っている。
人を許すこと…
これは若ければ若いほど
難しいような気がする。
かつての私も
嫌なことがあると
「付き合わない」
とかたくなな態度を取っていた。
白、黒はっきりさせなくても良い。
好きか嫌いかという選択肢は
ある意味「切り捨て」のようなことが
生じてしまうような気がする。
グレーゾーンの答えもある。
仕事ではどうしても
はっきりさせなくては
先に進めない。
ただし、人同士の付き合いは
ある程度のグレーゾーンが
あった方が
うまくいくのだなと
思うようになった。
そう、身内とか家族の場合には
特にである。
はっきり
言い過ぎてしまうと
人は後に引けなくなる。
「許せない」の感情が正体だ。
そう、「許せない」ことを
緩められたら楽になる。
嫌と思っても身内でそれを
通そうとすると
糸が絡まって益々
複雑になっていく。
付き合わないのと
許せないのとは違うものである。
正義感の正しい人は
ジャッジを常にしていて
怒りが先行してしまう。
折角、出会えたご縁を切らずに。
兄弟や親子。
近ければ近いほど
何かがあると
「許せない」となる。
でも思い出してほしい。
過去、楽しく過ごした時間が
あったはず。
笑い合い
大好きという感情が湧いたはず。
ずっと信頼してたのに
そこに新しい関係が
入ると(お婿さんとかお嫁さんとか)
関係性が
変わることが多々ある。
急に
許せなくなるのだ。
今年、夏期休暇は仕事をしつつ
のんびりしているが
不意に「許し」をテーマに
投稿してみようと思った。
空海のことばより
恨んでもしかたのないこと
なんとか
許す気持ちになってみないか。
相手の事情を考えて
寛大にあつかうこと
その境地になれたとき
大きな成長をした自分に
会えると思う。
「許せない」という
厄介な感情から
解き放たれたとき
人は自由になれるのだと
確信している。
この地球でこうして
コロナ渦を経て
無事に生きていることを思うと
「許す」ことが出来れば
新たな視野が開けてくる
ような気がする。