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酒場はりやのことを少し

昭和6年創業の酒場はりやは
私の祖父の代から始まった。

最初は酒屋だったそうで
その脇で呑みたい人に呑ませる
所謂、角打ちをやっていた。
角打ちはもともと
升の角に口を付けて飲むことを
「角打ち」と呼んでいた。
しかし現在は
酒屋の一角を飲酒スペースとして
仕切って立ち飲みすることだったり
酒屋での立ち呑みに限らず
立ち呑み居酒屋で酒を飲むことだったり
広い意味で使われている。

祖父は今で言うシングルファザー。
早くに奥さん(祖母)を亡くし
男手一つで5人の子どもを育てながら
酒屋を営んでいた。
その角打ちをやっていると
保健所からうるさいことを言われ
(父からこの言葉のまま聞いている)
色々と面倒だったから
それなら酒屋より飲み屋の方がよさそうだ
ということで飲み屋一本に転向。
そこへ母が嫁に来て
母親代わりに小姑たちと
店を切り盛りしたそうだ。

私は祖父に似ている。
お客さんからラーメンが食べたいと言われれば
作って出したり
当時のメニューは知らないけれど
お客さんの欲しがるものを出したり。

酔っぱらって来たお客さんには
帰れと追い出す。
私も似たようなもので
酔っぱらってもう飲めなさそうなお客さんには
ちょっとジャンプしてごらん
とジャンプさせる。
もちろん本当にジャンプする酔っぱらいはいないけど
そこでこちら側のスタイルが伝わる。
ああ、この女将は
俺の言いなりにはならねーな、と。

当時のメニュー表

その祖父が残してくれた
鐘ヶ淵のお店を父が継ぎ
その後を三代目の私が継いだのは
2018年1月。
3年弱しか同じ鐘ヶ淵では営めなかったけど
場所の問題じゃない。

丁度今の季節の前のはりや窓

今回、新しいはりやについて
高熱でうなされながら
十分に考える時間はあった。
私は何をしたいのか。
どんなはりやをやりたいのか。
場所が変わったって
料理が変わったって
私は私でしかないし
伝わるものは
伝わる人にしか伝わらない。

文字にするとチープだし
頭の中でぐるぐるしちゃったけど
結局この言葉がしっくりくるのだ。

2018年から2021年はチョロチョロしか
鐘ヶ淵はりやを営業できなかったけど
実は2021年は営業88年目だったのだ。
でもひどい社会状況の中でチョロチョロやった
2021年の88年目は
次の場所でちゃんとやり直したい。
そしてできれば
元気に100年目を迎えたい。
あと12年か~。。
ま、やれるか。

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