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【仮説】キャンプには大きく2つのアプローチがある

ALOHA! みゅひょんでーす♪

最近、別アカでの活動が忙しくて、こちらに書くのはひっさしぶりです。

そうなってる経緯をかいつまんでお話ししますと、ちょっと悩みごとがあったので、YouTubeを見たり、そこで紹介されていた本を読んだりしているうちに、いつの間にか東洋哲学にハマり、最終的には鈴木大拙師が提唱された「日本的霊性」というのに行き着いたんですね。

「霊性」なんて聞くと、なんかいかがわしい感じもしますが、日本人の心に自然と宿っているものぐらいの意味合いです。そうすると「精神」でもいいんじゃないかと思う人もいるでしょうが、大拙師は「日本的精神」こそが敗戦の原因と考えていたようで、精神に替わる言葉として霊性を唱えたという感じなんですね。

詳しくは師の『日本的霊性』を読んでいただきたい――のですが、これがけっこう読みにくいんです。それで小説で示せたらと思って、いま一生懸命書いているという次第。

じゃあ何で今日はこちらに書いているかというと、キャンプにも大きく西洋的なアプローチと東洋的なアプローチがあるような気がしたからなのです。それをちょっと書きたいな、と。

西洋的というのは、自然の中で過ごしながらも、自宅あるいはそれ以上の快適さを理想とするアプローチです。グランピング(キャンプかどうかは別として)なんかが究極ですよね。

東洋的というのは、もちろん死なない、怪我しない、風邪引かないなどは前提だけど、どちらかというと不便さを味わうことで自然との一体感を楽しむアプローチです。

実際は、2つにバシッと別れるわけではなく、グラデーションがあるわけで、わたしなんかもどちらかというと東洋的だけど(自転車ソロキャンプはそうならざるを得ませんし)、おトイレはウォシュレットのほうがいいわ、なんてタイプです。

だから、どちらとも言えないという人も多いと思うのですが、基本的にどちらですかと尋ねたら、2つに別れるかなあと。

どちらがいいということじゃないんです。東洋的な人は西洋的な人を見て、キャンプ場じゃなくてリゾートホテルに泊まれば?なんて思いがちだし、逆は逆で、貧乏人は寒いのに何で冬にキャンプに来るんだよ?なんて不思議に思っているんでしょうけど、それはもうそれぞれの勝手です。お互い尊重し合わないと。

ただ、わたしはどちらかというと東洋的アプローチなので、自己主張(弁護)しておきますと、不便なキャンプのほうが癒されるというか、来た甲斐があったなあと思うのです。実際、思い出に残っているのは、快適なキャンプより寒すぎたキャンプとか雨のキャンプだったりします。

寒すぎたら反省して、もっと暖かいシュラフを買ったりもするのですが、そこまでですね。大きなテントに薪ストーブなんていうのは考えもしません。わたしには快適すぎますし、そもそも自転車ソロキャンプでは持っていけません。

とはいえ、冬のキャンプは本当に寒いので、テントの中でストーブをつけている人を見ると、入れてくださーい、と言いたくなるのも事実です。

その点、夏は平等に暑いのがいいですね。そう言えば、真夏の近場のキャンプ場には、あまり西洋的アプローチのキャンパーはいない気がします(高原に集まっているんでしょう)。

そんな思いをしてまで、冬の自転車ソロキャンプに行くのは、やっぱり行ってよかったなと思うからです。

シュラフの中でブルブル震えながら、今一人なのだけど、でも本当は一人でなく、まずは大地とのつながりを感じますし、大地の虫たちともつながっているし、それを食べる小動物や鳥たちともつながっているし、・・・。なんて考え始めて、最終的には宇宙ともつながっていて、自分は宇宙の一部だけど、宇宙も自分の一部だみたいな感覚も湧いてきて、そのうち色即是空、空即是色みたいなところまでいっちゃいます。やばいかしら?

ここではキャンプのお話になりましたが、そういう感覚を共有できる小説が書きたいと思っている次第です。

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みゆチャコ
自分のしたいことと向き合うことで、わたしはしあわせになれたと思っています。わたしの生き方を知って、ちょっとでも癒やされる人がいればいいなあという気持ちで書いています。スキやフォローは本当に励みになりますので、よろしくお願いいたします。