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日日是好日ってさすがに嵐の日は思えないけれど

割引あり

 ALOHA! みゆひょんでーす♪

 前回、こんな記事を書いた。

 これを書いているときに、「日日是好日」に関するわたしの解釈も書きたかったのだけど、長くなりすぎると思って、回をわけることにしたの。

 「日日是好日」ってホント、キャンプのためにある言葉だと思うのよね。


武者小路実篤さんの名言ではないの

 わが家にも昔、武者小路実篤さんの書画のレプリカがあったのよ。野菜の絵の横に「日日是好日」と書いてある色紙が。高校生のわたしは、「ひびこれこうじつ」と読んでたんだけど、ホントは「にちにちこれこうにち」と読むのを知ったのは、禅のお勉強を始めてから。恥ずかしい。ただ、「ひびこれこうじつ」と読ませる歌もあるので、間違いではない。間違いではないが、禅語としては「にちにちこれこうにち」と読むのがいいんじゃないかしら。

 武者小路実篤さんのオリジナルの言葉だと思っていた人もけっこういる。かくいうわたしもそうだ。恥ずかしい。

 では、オリジナルは何かと言うと、『碧巌録』に「雲門十五日」という公案(禅問答のお題)があるの。

 かつて雲門はこう言った。「ここまでの15日間のことは問わないが、これからの15日間をどうするか一言で言え」と。それに自ら答えて、「毎日が良い日」だと言ったが、これはどういうことか? 

『碧巌録』から要約

 雲門文偃ぶんえんさんは、唐末から五代という混乱の時代を生きた高僧で、雲門宗の開祖。お師匠さんは雪峰義存せっぽうぎぞんさん。

3段階で解釈が進化?

 禅問答だから正解はなくて、深い答えと浅い答えと箸にも棒にもかからない答えがあるのだと思う。Wikipediaで恐縮だけど、こんな解釈があるらしい。

「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である。

そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%97%A5%E6%98%AF%E5%A5%BD%E6%97%A5

 「15日間」に深い意味があるのかもしれないけど、誰もそこには注目していない。まあ、考えるにあたって、長くも短くもないちょうどいいスパンだとわたしは思った。で、過去はどうでもいい、先の話をしようと雲門さんは言っているようだ。

 このWikipediaの記事では、解釈は3つある(1~3)。さらに付け加えると(4)、4つあるみたい。ほかにもあると思うけど、大きくはこの4つなんじゃない?

  1. 毎日が良い日になるように努力しようね

  2. 日々の良し悪しなんて考えないで、今を大事にしようね

  3. あるがままを受け入れれば、毎日良い日になるの

  4. 毎日毎日、今日が最後の日だと思って一生懸命生きればすばらしい日になる

 浅い・深いで言えば、Wikipediaの著者も「さらに進んで」と書いているように、1は浅いと思う。そもそも禅というより仏教が、努力というより、人間の働きかけなんてことを、あまり重視していないと思うのよね。あと、私は4のような解釈は、いかにもアメリカナイズされた成功法則みたいで好きになれない。浅くはないけど、採用したくない。

 では、2と3ではどうだろう?

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自分のしたいことと向き合うことで、わたしはしあわせになれたと思っています。わたしの生き方を知って、ちょっとでも癒やされる人がいればいいなあという気持ちで書いています。スキやフォローは本当に励みになりますので、よろしくお願いいたします。