ポジティブ心理学が拓く未来-パート2
7月20日から23日、バンクーバーで開催された国際ポジティブ心理学会(IPPA) の世界大会の報告を数回に分けてお届けしています。パート1はこちらから。
ポジティブ心理学の誕生
ポジティブ心理学が拓く未来-パート1を読んでくれた友人から、「ポジティブ心理学に出会って幸せのとらえ方が大きく変わり、人生が変わった一人です」というメッセージが届いた。彼女だけでなく、多くの人から人生が変わった(Life-changing)という話を聞く。世界中で多くの人の人生やビジネスを変え、社会をより良くしていくこのパワフルな科学は、いかにして生まれたのか。
ポジティブ心理学は、1998年、当時のアメリカ心理学会の会長に就任したMartin Seligman博士が提唱したことに端を発する。アメリカ心理学会は1892年に設立されている。この間、精神の病の原因を取り除き、病を治す研究に貢献してきた貢献を誇りとしながらも、心理学が今まであまり焦点を当ててこなかった「精神的に健康な人がより良い生活やイキイキと仕事ができるための研究」を提唱し、ポジティブ心理学と呼んだ。こうした経緯からも、それまでの心理学はマイナスをゼロ以上にするアプローチで、ポジティブ心理学はゼロ以上からプラスにするアプローチだと言われる。
ポジティブ心理学 序論 (2000)
Seligman博士、そして博士と共にこの分野を牽引してこられたMihaly Csikszentmihalyi博士のお二人が、アメリカ心理学会の学術誌であるAmerican Psychologistの2000年1月号で、「ポジティブ心理学 序論」と題する論文を発表し、この新しい科学を世に問うた。結論にはこう記されている。
「We believe that a psychology of positive human functioning will arise that achieves a scientific understanding and effective interventions to build thriving in individuals, families, and communities. 我々は、人間のポジティブな機能に関する心理学が現れ、個人、家族、共同体の繁栄を構築するための科学的な理解と効果的な介入を実現すると信じている。」(翻訳は一般社団法人日本ポジティブ心理学協会のウェブサイトから引用。本論文の日本語全文翻訳は同ウェブサイトに掲載されている)
5歳の娘ニッキ―が発揮した強み
この論文には、セリグマン博士とチクセントミハイ博士のお二人がポジティブ心理学を生み出したきっかけとなる個人的な物語も語られている。そう、ストーリーテリングは重要!セリグマン博士の物語は、5歳の娘ニッキ―と草むしりをしていた時に、ポジティブ心理学への啓示を受けたというエピソードだ。この娘さんとのやりとりは、日本での講演の中でもお話ししてくださったので、余計に印象に残っている。講演の冒頭で、自分はポジティブ心理学の研究者だとは信じてもらえないほど無愛想な人間だと、ユーモアを交えながら話してくれた博士の表情は確かに無愛想だった。(実際はとても温かく優しい方!)
今から25年前、アメリカ心理学会の会長になって数か月後、自宅の庭で草むしりをしながら、草を空中に投げたり、踊りまわっていた娘のニッキ―を怒鳴りつけた時に、娘が言ったこと。
「パパ、私の5つの誕生日の前のこと、覚えている? 3つから5つになるまで、私はメソメソばっかりしてた。毎日。5歳になったら、もうメソメソしないと決めたの。これまでで一番大変だったよ。私がメソメソするのを止めることができるなら、パパもこんなに機嫌がよくないのを止めることができるでしょ。」
無愛想を自認するセリグマン博士は、娘の言葉にハッとさせられる。自分がいつも不機嫌で、家族にとって雨雲のような存在だったことに気づき、その瞬間に変わろうと決心したという。そして、自分の娘の「心の底を見抜く力」という素晴らしい強みを伸ばし、育み、強みを軸にして生きていけるように手助けすることが子育てだと悟ったというのだ。
エンゲージメントと責任
「フロー理論」を開発したチクセントミハイ博士も、この「ポジティブ心理学 序文」の中で、第二次世界大戦中に心理学と出会った経緯を綴っている。ただ、セリグマン博士のようなパーソナルな物語を期待する方には、物足りないかもしれない。2004年に「フロー」について語ったTEDトークの中で、若い頃の博士がカール・ユングと偶然出会ったことに触れていて、こちらは手触り感のあるエピソードだ。
「フロー理論」を実践していた経営者として松下幸之助さんが有名だが、チクセントミハイ博士はこのTEDトークの中で、ソニーの創始者である井深 大さんが起草した設立趣意書の「真面目なる技術者の技能を最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」という志を取り上げ、 「フロー」が職場でどう実現されるのか これ以上よい例を思いつかないと話している。
また、ソニーの社員インタビューによれば、もう一人の創始者である盛田昭夫さんは、入社式で常々こう話していたという。
「君たち、ソニーに入ったことをもし後悔することがあったら、すぐに会社を辞めたまえ。人生は一度しかないんだ。そして、本当にソニーで働くと決めた以上は、お互いに責任がある。あなたがたもいつか人生が終わるそのときに、ソニーで過ごして悔いはなかったとしてほしい」
『お互いに責任がある』とは、何と誠実なメッセージだろう。従業員エンゲージメントは、企業と従業員とが相互に影響を及ぼし合い、共に必要な存在として絆を深めながら成長できる関係を築いていくこととされている。 「ポジティブ心理学-序論」の中でも、ポジティブ心理学の集団レベルの領域として、「人々をより善い市民に近づける市民的美徳や社会的慣習、すなわち、責任感、慈愛、利他的行為、礼儀正しさ、節度、寛容、労働倫理などに関するもの」という記述がある。職場でのエンゲージメントが注目される今、原点に戻って井深さんや盛田さん、松下さんのようなリーダーの言葉に耳を傾けると共に、ポジティブ心理学という科学的な根拠に基づくアプローチを活用していきたいと改めて思った。
※2004年のTEDには、「A New Era of Positive Psychologyポジティブ心理学の新時代」と題して、セリグマン博士も登壇している。
科学分野の進展を支える研究資金
2011年に出版されたセリグマン博士の著書「Flourish: A New Understanding of Happiness and Wellbeing(日本語版タイトルは「ポジティブ心理学の挑戦 ”幸福“から”持続的幸福“へ」)では、ポジティブ心理学が始まったもう一つの裏話が書かれていて興味深い。
こちらは、ある財団から大型の研究資金がつくことになり、研究に弾みがつくというミステリアスな展開の物語だ。さらにこの物語は奇妙な終わり方をする。まるで、セリグマン博士が主役のサスペンス映画を見ているような気になる。詳しくは書籍を読んでいただきたいので、ネタバレは控えるが、研究資金の分配を握る人たちの知見と判断が、私たちの生活や人生に影響を与えるという現実を忘れてはいけないのだという示唆でもある。
ポジティブ教育への篤志家の理解
ポジティブ心理学の応用分野は広い。
・ポジティブヘルス
・ポジティブ教育
・自己開発・コーチング・カウンセリング
・組織開発・リーダーシップ
・環境政策
・社会福祉政策
今回の会議で大きなインパクトを感じたのは、ポジティブ教育の広がりだ。初中等・高等教育における実践、高等教育における研究と研究者や実務者の育成などが世界で急速に進んでいる。
初中等教育でのパイオニアは、オーストラリアのGeelong Grammer Schoolだ。この学校が新しい体育館を建設するために卒業生たちから寄付を募ることになった時、評議会は「子どものために建物だけでなくウェルビーイングが欲しい」と言って、セリグマン博士を招聘することになった。2005年のことである。このジーロン・グラマー・スクール・プロジェクトについては、セリグマン博士の著書「Flourish」に詳しく記載されているが、ウェルビーイングに理解があったのは、評議員だけではなかった。
世界的なメディア王として知られるルパート・マードックさんの実姉のヘレン・ハンドベリーさんが、かなりの額を寄付されたという。彼女は、「もう一つの体育館はいらないわ。私は若者にウェウビーイングが欲しいのよ」と伝えたのだそうだ。ここから、オーストラリアの、いや世界の初中等教育における本格的なポジティブ教育がスタートした。資金だけの問題ではないとは言え、富の再配分の意思決定に関わる人たちの理解を得ることの重要性をまたしても認識させられてしまうこととなる。
IPPAの会議でもポジティブ教育の先駆者たちの発表がいくつもあり、日本からも小学校の学校全体の取組みやキャラクターストレングスの活用などが報告された。中でも、埼玉県上尾市立平方北小学校の中島晴美校長先生のお取組みは衝撃的で、日本の公立小学校でここまで成果を出していらっしゃることに心から感動。ポジティブ教育については、ポジティブ心理学が拓く未来-パート3で詳しくお伝えしたい。
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