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人的資本経営 × 死に相対する哲学(1)

死生観の違いが労働観に影響を与える可能性について。さらに、日本の神道的な考え方が仕事に対する姿勢に影響を与えている可能性や、企業が従業員の健康や生き方をサポートする動きについて。

# 宗教観と労働倫理 - 死生観から見る日本型経営の可能性

## 第1章:死生観の違いから見える世界

Miyuki:最近、日本グリーフアカデミーの研修プログラムを作っていて、興味深い発見があったんです。日本人の死生観って、西洋とかなり違うみたいで。

松井:へえ、具体的にどんな違いに気づかれたんですか?

Miyuki:例えば、葬儀社の方と話していて。「ご遺族」「ご遺体」という言葉の使い方一つとっても、亡くなった瞬間に使い分けるのは辛いと。むしろ「ご家族」「お体」という言葉を使うそうなんです。

松井:なるほど。それって日本人の死生観を象徴していますね。死を断絶としてではなく、連続的なものとして捉える感覚。実は、これは深い文化的な背景があるんです。

Miyuki:どういうことですか?

松井:例えば、お正月に私たちが新しい服を着るのは、この世と霊界が繋がって、先祖と交流する機会だからなんです。死者は別世界に行くんじゃなく、この世界に存在し続ける。これは日本の伝統的な考え方なんです。

Miyuki:でも、それって近代的な価値観とは相容れないんじゃないですか?

松井:その認識は実は違うんです。例えば、江戸時代後期の国学者、本居宣長は『玉くしげ』という著作で、死後の世界について興味深いことを述べています。

Miyuki:どんなことですか?

松井:人は死んで霊魂となっても、この世界に同居し続けるという考え方です。これは単なる迷信ではなく、人々の生活や労働に深く根ざした世界観なんです。

Miyuki:でも他の宗教では違うんですよね?

松井:そうです。例えば、私がインドでイスラム教徒の方と話した時の経験なんですが、その方は死後の世界について、ものすごくはっきりとした答えを持っていました。死んだ後は眠りについて、最後の審判の時に目覚める。これは揺るぎない信念として語られました。

Miyuki:なるほど。断絶としての死という捉え方ですね。

松井:その通りです。この死生観の違いは、実は現代の経営や働き方にも大きな影響を与えているんじゃないかと考えているんです。

## 第2章:宗教観と労働倫理の関係

Miyuki:人的資本経営の文脈で、最近よく「パーパス」とか「エンゲージメント」という言葉を使いますよね。これって、どう関係するんですか?

松井:そこで重要になってくるのが、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』なんです。プロテスタンティズム、特にピューリタンの考え方では、人間は完全に罪深い存在だから、善行を積んで救われることはありえない。

Miyuki:厳しい考え方ですね...

松井:ええ。でも彼らは、神から与えられた職業に全身全霊を捧げることで救済の可能性が開かれると考えた。実際、イギリスの清教徒革命の時代には、美味しい食事さえ自分を堕落させるものとして否定したんです。

Miyuki:そういえば、最近のある宗教団体の自爆テロの映像を見たときの話を聞かせていただけませんか?

松井:ああ、はい。これは衝撃的な経験でした。私たちは彼らが悲壮な決意で行動すると思いがちですが、実際の映像では、まるで楽しい出来事を迎えるかのような雰囲気だったんです。これは彼らの死生観、特に死後の世界への確信が強く影響していると考えられます。

Miyuki:日本の場合は違うんですよね?

松井:そうです。例えば、太平洋戦争末期の特攻隊。「靖国で会おう」という言葉に象徴されるように、死後も同じ世界の中で存在し続けるという感覚がありました。これは西洋的な「救済」の概念とは異なる死生観です。

Miyuki:その違いが労働観にも影響するわけですね。

松井:はい。伊勢神宮の例を見てみましょう。毎日欠かさず行われる神饌の儀式で使う道具が、弥生時代から変わっていないんです。なぜかというと、毎日絶やさず続けているから、数千年経っても同じものが使われているのは当然だ、という考え方なんです。

Miyuki:すごいですね。戦争中も続けられたんですか?

松井:はい。江戸時代の動乱期も、太平洋戦争中も、伊勢湾台風の時も、絶やすことなく続けられました。これは日本的な労働観の本質を示していると思います。

## 第3章:日本的な労働観の特徴

Miyuki:その「続ける」という感覚は、日本の企業文化にも見られますよね。でも、それって時代遅れだという批判もありそうです。

松井:確かにその通りです。特に1980年代以降、日本企業は大きな変革を迫られてきました。「24時間働けますか」というフレーズに象徴される時代から、様々な変化がありました。

Miyuki:どんな変化があったんですか?

松井:2000年代に入ると、特にエンロン事件をきっかけに、企業倫理や長期的な事業価値の重要性が認識されるようになりました。さらに、金融資本主義の行き過ぎによる様々な問題も露呈しました。

Miyuki:例えば、どんな問題ですか?

松井:ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の破綻など、極端な短期的利益追求の限界が明らかになりました。これを受けて、サステナビリティやステークホルダー資本主義という考え方が出てきたんです。

Miyuki:でも日本企業は違う道を歩んだんですよね?

松井:そうですね。日本では特に「働き方改革」という文脈で、労働のあり方を見直す動きが強まりました。ただ、これは単なる制度改革ではなく、もっと本質的な問題に関わっていると思います。

## 第4章:現代への示唆:新しい人的資本経営の可能性

Miyuki:最近の人的資本経営の議論って、ある意味で西洋的な価値観に引きずられすぎているかもしれませんね。

松井:その通りです。例えば「ウェルビーイング」という概念も、単に「幸せで十分な状態」という捉え方では不十分です。日本的な文脈では、もっと違った意味を持ちうる。

Miyuki:具体的にはどんな可能性がありますか?

松井:例えば、従業員の健康経営を考えるとき。現状は「人は倒れない、病気にならない」という前提で考えがちですが、実際にはみんな病気になったり、最終的には死んでいく。その現実を踏まえた上で、どういう働き方が望ましいのか。

Miyuki:最近、健康経営優良法人の認定要件にバイタルデータの活用が加わりましたよね。

松井:はい。それも重要な変化です。また、高齢者雇用安定法の改正で、従業員の地域活動やボランティア活動の支援まで企業の役割として認識されるようになってきています。

Miyuki:その背景には、やはり日本独自の死生観があるわけですね。

松井:そう考えています。例えば、「がんとの両立支援」という考え方。これは単に病気の従業員を支援するということではなく、人生の連続性の中で働き方を捉え直すという視点が必要です。

Miyuki:パーパスドリブンな経営についても、新しい見方ができそうですね。

松井:ええ。現在のパーパス経営は、ややもするとプロテスタンティズム的な使命感、つまり「救済のための全力投球」という発想に近いところがある。でも、日本的な文脈では、もっと違った形があり得るはずです。

Miyuki:どんな形でしょうか?

松井:例えば、「継続」と「丁寧さ」を重視する。ただし、それは単なる惰性ではなく、日々の仕事に神聖さを見出すような態度。伊勢神宮の神饌の儀式のように、日々の営みの積み重ねそのものに意味を見出す。そんな労働観に基づいた経営のあり方です。

Miyuki:今の若い世代にも受け入れられそうですか?

松井:むしろ、SDGsやサステナビリティへの関心が高まる中で、こういった考え方は新しい意味を持つかもしれません。継続性を重視し、短期的な成果に囚われない。でも、それは単なる長期主義ではなく、日々の営みそのものに価値を見出す。そんな働き方が、実は現代に求められているのかもしれません。

Miyuki:なるほど。人的資本経営を文化的な深層から捉え直す。そこから新しい可能性が見えてくるということですね。

松井:はい。形だけ欧米の制度を真似るのではなく、日本の文化的土壌に根ざした、独自の経営のあり方を模索する。それが、これからの日本企業に求められる課題なのではないでしょうか。

Miyuki:今日の話を通じて、経営の問題を文化や思想のレベルまで掘り下げて考えることの重要性を実感しました。ありがとうございました。

松井:こちらこそ、貴重な気づきをありがとうございました。これからも一緒に考えていければと思います。

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