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人的資本経営 × 死に相対する哲学(2)
働くことの意味と自己統合 - 宗教学/哲学的理論と実践的な高度経営コンサルティングの魔法のようなアルケオロジー
人的資本経営やウェルビーイングなど、現代の人と組織に係るあれこれの根本にある、世界観・働くことの変化・経営理論・多様な働き方と生き方について、古今東西の死に相対する哲学や宇宙観、現在進む生き方の捉え直しを踏まえて、日本グリーフアカデミーのmiyukiと、iU組織研究機構の 松井で語っていきます。
対話の3回目です。
# 第1部:現代における自己の分断と統合のリズム
Miyuki: 最近、大学で学生たちとキャリアについて対話する機会がありました。印象的だったのは、多くの学生が「仕事は生活の手段」と割り切って考えていること。しかも「好きなことを仕事にするのはよくないと思う」という意見まであって。19、20歳でそんな割り切り方をしていることに、ある種の危機感を覚えました。
松井: その観察は本質的な問題を示唆していますね。これは単なる若者の意識の問題ではなく、より深い自己疎外の現れかもしれません。マルクスは労働からの疎外を指摘しましたが、現代ではより微妙で深い形での自己疎外が起きている。仕事を「手段」として切り離すこと自体が、実は自己の分断を示しているのではないでしょうか。
Miyuki: 興味深い指摘です。実際、コンサルティングの現場でも、似たような分断を感じることが増えています。例えば、若手社員の多くが、仕事の意味や価値よりも、ワークライフバランスを重視する。でも、その「ワーク」と「ライフ」の二分法自体に、何か根本的な問題があるように思えてなりません。
松井: そうですね。道元の「現成公案」という考え方が示唆的かもしれません。真の自己実現は、「仕事」と「生活」を分けて考えることではなく、むしろその一体性を認識することから始まる。ただ、これは単なる理想論ではなく、実践的な課題として捉える必要があります。
Miyuki: その視点は、私の実務経験とも響き合います。特に印象的なのは、ある大手企業での人材開発プログラムでの経験です。当初は「スキル開発」と「キャリア開発」を別々のトラックで進めようとしていたのですが、それが逆効果だとわかってきた。結局、日々の業務の中で自己の成長を見出していけるような、統合的なアプローチに切り替えたんです。
松井: その統合的アプローチについて、もう少し具体的にお聞きできますか?東洋思想での「即非の論理」—つまり、AはAでありながら同時にAでないという考え方—が、現代の人材開発にも示唆を与えられるように思うのですが。
# 第2部:目指すもの、という個性化のプロセスを参究にて歩むべし
Miyuki: はい。例えば、ある大学で私が試してみたことがあります。学生たちに「死ぬまでに絶対やりたい仕事」を考えてもらうワークショップを行ったんです。興味深かったのは、表面的には「英語を勉強したい」「運転免許を取りたい」という直接的な目標しか語れない学生が多い一方で、深く掘り下げていくと、意外な発見がありました。
松井: どのような発見だったのでしょうか?
Miyuki: 例えば、「自分が価値のある人間になりたい」とか「心も体も健康な状態を保ちたい」という、より本質的な願望が出てきたんです。これは単なるスキル獲得とは違う次元の欲求ですよね。ただ、多くの学生はこれをキャリアや仕事と結びつけて考えられていない。そこに現代の若者が直面している分断があるように感じます。
松井: それは鋭い観察ですね。ユング心理学で言う「個性化」のプロセスとも関連します。表面的な適応や目標設定の背後に、より深い自己との出会いの可能性が潜んでいる。ただし、現代社会ではその「出会い」のプロセス自体が難しくなっているのかもしれません。
Miyuki: その点について、実務家として興味深い観察があります。大手企業のタレントマネジメントで、若手社員の「成長実感の欠如」が大きな課題になっています。スキルは確実に向上しているのに、それを自分の人生の文脈で意味づけられない。これは松井さんの言う「自己との出会い」の困難さと関係しているのでしょうか?
松井: はい、密接に関係していると思います。禅の修行では、「参究」という実践があります。これは単なる思索ではなく、全存在を賭けた問いの追求です。現代の文脈で言えば、仕事や学びを通じて、自己の本質に迫っていくような実践が必要なのかもしれません。
Miyuki: その「参究」の考え方は興味深いですね。今、人材開発の現場で起きている問題にも通じる。実は最近、従来型のキャリア研修を根本から見直そうとしています。なぜなら、いわゆるキャリアパスの提示や、スキルマップの作成といった従来のアプローチが、むしろ人々の本質的な成長を妨げているように見えるからです。
松井: それは本質的な指摘ですね。道元の「学道用心集」には、「随所に主となる」という言葉があります。これは単なる主体性の確立ではなく、どこにいても、何をしていても、そこに真実の自己を見出すという意味です。現代の文脈では、キャリアの外部に理想を置くのではなく、今ここでの実践の中に意味を見出していく。そういう転換が必要なのかもしれません。
# 第3部:隠れた意味文節を不立文字で悟り、悟った先に現代の真相がある
Miyuki: その視点は、私が観察している興味深い現象と重なります。例えば、件の「死ぬまでにやってみたい仕事」ワークショップを経験した学生さんたちの感想文の中に、「好きなことをやりたいという考えではない」という意見が複数ありました。一見、諦めのように見えるこの態度の裏に、実は何か別の可能性が隠れているのでしょうか?
松井: そこで重要になってくるのが、井筒俊彦の「意味分節」という考え方です。表面的な意味の背後に、より深い意味の層が存在する。学生たちの「好きなことをやりたくない」という言葉の裏には、もしかすると「より本質的な何か」への漠然とした希求があるのかもしれません。
Miyuki: なるほど。それは私がコンサルタントとして関わっている、ミドルマネージャーたちの悩みとも通じます。彼らの多くが、単純な「やりがい」や「好きなこと」を超えた、何か本質的な価値を求めているように見えます。ただ、それをうまく言語化できない。その「言語化できない何か」をどのように扱っていけばいいのでしょうか?
松井: 「言語化できない何か」というのは、禅で言う「不立文字」の現代的文脈かもしれません。ただし、これは言語を否定することではなく、言語を超えた次元を認識するということ。私自身、40代になって気づいたのですが、自分が本当に求めていたものは、必ずしも最初に思っていた形ではなかった。
Miyuki: それはとても示唆的です。実は私も似たような経験をしています。経営学の大学院で学び直そうと考えていた時期があったのですが、実際のコンサルティング実践の中で、より本質的な学びがあることに気づきました。特に印象的なのは、組織開発のプロジェクトで見た、ある現場リーダーの変化です。彼は最初、理論的な学習を求めていたのですが、実践の中で、まったく異なる次元の理解に到達した。
松井: それは西田幾多郎の「行為的直観」という概念に近いですね。知ることと行うことが一体となった認識のあり方。ただ、現代社会では、この統合的な認識に至る道筋が見えにくくなっている。
Miyuki: その「見えにくさ」は、まさに現場で直面している課題です。例えば、先ほどの学生たちのワークショップでも、将来のキャリアを考える際に、具体的なスキルや資格は語れても、より本質的な「なぜ」の部分が抜け落ちている。これは単に彼らの問題というより、私たち社会全体が抱える課題なのかもしれません。
松井: そうですね。ハイデガーの言う「存在忘却」という概念が示唆的かもしれません。存在者(具体的なスキルや目標)は見えているのに、存在そのもの(働くことの本質的な意味)が見えなくなっている。ただし、ここで重要なのは、この「見えなさ」自体に気づくことかもしれません。
# 第4部:現成公案における人的資本経営・キャリア・マネジメントの最終解
Miyuki: まさにその「気づき」をどう促すかが、現代の人材開発の本質的な課題だと感じています。従来型の研修やキャリア支援では、どうしてもスキルや目標設定に偏りがち。でも、本当に必要なのは、もっと根本的な「在り方」への問いかけなのではないでしょうか。
松井: そうですね。実は私自身、人文系の研究をしたいと思い込んでいた時期がありました。でも、実際に大学院の先生方と話をしてみると、その研究スタイルが純粋な文献研究に終始し、社会への応用という視点が完全に欠落していることに気づいた。そこで初めて、自分の本当の指向性が違うことに気づいたんです。
Miyuki: それは私の経験とも重なります。日々のコンサルティング経験から見えてきたのは、理論と実践の新しい関係性の必要性です。例えば、先日の大学での心理学部生との対話で印象的だったのは、彼らが描く将来像の「分断」です。資格を取って就職するという具体的なパスは語れても、そこに自分の存在の意味が意識されているように見えない。
松井: その分断は、禅で言う「法執」の現代的形態かもしれません。方法や形式への執着が、かえって本質的な理解を妨げている。ただ、現代社会ではその「法執」からの解放も、単純ではありませんね。
Miyuki: そうですね。実際の組織でも、同じような課題を見ています。例えば、人材育成の現場では、スキルマップやコンピテンシー評価という「形式」が、かえって人々の本質的な成長を見えにくくしている。数値化できない価値をどう育んでいくか、これは私たちコンサルタントにとっても大きな課題です。
松井: そこで重要になってくるのが、道元の「現成公案」の現代的解釈かもしれません。変化や成長は、何か外部から付け加えられるものではなく、既に実現しているものが顕在化していく過程として捉える。これは人材開発の新しいアプローチを示唆しているように思います。
Miyuki: その「現成公案」という視点は、私の直面している実務的な課題にも示唆を与えてくれますね。人材開発の現場で、「即効性のある施策を」という要請が強まる一方で、本当の意味での人の成長や自己実現には、異なる時間軸、異なるアプローチが必要だと感じています。
松井: その点で、西田幾多郎の「絶対矛盾の自己同一」という概念が参考になるかもしれません。効率と深化、短期と長期、そういった一見矛盾する要素を、より高次の次元で統合していく。ただし、これは単なる折衷や妥協ではない。
Miyuki: 具体的な例を挙げると、ある企業での次世代リーダー育成プログラムで、従来型の研修とは全く異なるアプローチを試みました。数値目標や具体的スキルの習得は一旦脇に置いて、むしろ「なぜ自分はここにいるのか」という根源的な問いと向き合う場を作ったんです。最初は戸惑いもありましたが、そこから予想以上の変化が生まれました。
松井: それは道元の「参究」の現代的実践とも言えますね。表層的な課題解決ではなく、存在そのものへの問いかけ。ただし、これは単なる内省ではなく、実践との深い結びつきの中で意味を持つ。
Miyuki: はい。興味深いことに、このアプローチを経験した参加者たちは、その後の実務においても異なる質の成果を出し始めています。数値では測れない価値を生み出し、周囲にも影響を与えている。これは、私たちが模索している「新しい統合」の一つの形なのかもしれません。まさにこれこそが現成公案が成立した瞬間だと思います。最も重要な要所をお示しください。
松井: 仏道をならふといふは,自己をならふなり。 自己をならふといふは,自己をわするるなり。自己をわするるといふは,万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは,自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。曹洞宗開祖、承陽大師道元、正法眼蔵、現成公案。