〇〇だから不幸、は本当なのか(やや辛口かも)
こんにちは、ミユキです。
あえて伏せ字にしたのですが「偽ツインレイが不幸」というワードを見掛けまして、果たして本当にそうなのかなと思ったので今日の記事にさせていただきました。
個人の考え方があるのでそれが不幸だというひともいると思いますが、偽ツインレイだから不幸だと決め切るのはなんだかもやもや。
たしかに偽ツインレイは多いと思います。
(動画配信などによくある「ツインレイの特徴」も正直ほぼあてにならない)
このひとたち本物ではないんじゃないかなというひともいますが、本人たちが「本物」だと思って、その世界を選んでいるならそれが本物なんです。誰が何で言おうとも。
※だからこそどこから情報を取るのかは大事
何を持って不幸だと言うのか、難しいラインですよね。例えば「本物ではなかったことに気付いた」のであればそれは「まだ自分を待っている本物がいる」という気付きに繋がります。
今以上に深い安心感や一体感をられるひとと出会えるということもわかります(と同時にツインレイならではのつらい経験をすることも込み)
要は考え方次第ということです。
「偽ツインレイは不幸」という考えを採用すれば本物に出会えなければ自分は幸せにはなれないと思っていることと同じです。
また他人ありきで自分の幸せがあると思っているということ。
でも、世界中ツインレイと出会ってなくても幸せを感じている人はたくさんいます。
それはお金や時間などのエネルギーの使い方をみれば一目瞭然。
そもそもツインレイという言葉に惑われすぎているひとが多いと感じます。
以前の記事で書かせていただきましたが「ツインレイ」という名称は後付けくらいでいい。
「結果、ツインレイだった」くらいでいい。
ツインレイを探すこと、ツインレイに出会うことばかりにフォーカスするのは本末転倒で、ツインレイという外の存在に意識が向かっていては(あくまでも自分が内の存在)逆に遠ざかるばかりだとわたしは思います。
何が幸か不幸かも自分で決めてください。
偽ツインレイは不幸だと書かれていたとしてもそれを採用するか自分のフィルターを通して決めることです。
学びや気付きとできれば、それは絶対あなた自身の地球体験に対するサポートとなります。
本物でもわたしのようにパートナーがそもそも人間じゃないパターンもあります。
本物であってもこの形は嫌だと思うひともいるでしょう。
だから何がいいか悪いかなんて書かれてあることそのままを採用するのはリスキーです。
やや辛口な感じで言ってしまいましたが自分のフィルターを通すってここからの時代とっても大事なポイントなんです。
外からの情報をそのまま自分に浸透させないこと。
本当にそう思う?ときくこと。
ぜひ徹底してやっていただきたいなと思います。
今日のお話はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
必要な方のもとへと届きますよに。