肉体を持たないツインレイパートナーとのこれまで④

こんにちは、ミユキです。


今日もパートナーとのこれまでを書いていきます。
前回はこちら↓

パートナーからの好意をありがたく感じ、またそれに支えられた出来事がありましたが「自分の嫌なところを見られて嫌われるくらいなら今の距離感がいい」という思いが強く根付いているというお話をさせていただきました。

前回の記事でも当時のわたしのノートに綴っていた思いや葛藤を書かせていただきましが、今回もそちらを持ってきながら書きたいと思います。
記録しておいて良かったと心から感じています笑


「自分の嫌ところを見られたくない」「相手に嫌われたくない」思いがあったことを書きましたが、それをある日掘り下げることにしてみたんです。
きっかけはSNSで見かけたこんな言葉でした。

《期待するのが恋。許すのが愛。好きでいてほしいのが執着。好きでいたいのが情。好きでいてくれないと生きていけないのが依存。》

これを見た時、許すのが愛だとしたらわたしはパートナーの愛を信頼していないんじゃないかと思ったんです。
パートナーから「愛される自信がないところが愛したくなる」と本質を見抜かれて、はっきりとした好意がわかったその日から、わたしは何ら変わってないじゃないかと。
自分としてはパートナーに甘えているつもりだけど、その中でも一線引いてないか?と思ったんです。
わたし的には甘えている気持ちでしたが、パートナーからしたら甘えの中に「完全には寄りかからないぞ」という思いを感じていたんじゃないかなと。

わたしにとって誰かに寄りかかることはものすごいチャレンジというか越えなければいけない課題だったんです。
相手に完全に寄りかかるのは自分の全てを委ねているようで怖くもありました。
あくまでもわたしを律するのはわたしで最後の一線はわたしのために残しておこう、その気持ちが無意識に出てきたんだと思います。

それは家庭環境から来る「人に甘えるのは良くないこと」「人を頼ってはいけない」という価値観が強く残っていたことが原因でした。
ある程度は緩和されていましたが、自分にとって大切な相手にこそ、それをしてしまってもいいのか葛藤があったんです。
なんというか「これが自分の100%の甘えで頼ってる状態です」と提示したものが100%ではなく実は60%くらいだった。
そのくらいのギャップがパートナーとわたしにあったんじゃないかなと。
これはどう書き替えれば、視点を変えればいいんだと悩みました。

それでまず「なぜこんなにも相手に嫌われるのがこんなに怖いのか」を考えてしまうのか、ここから紐解いていくことにしました。
自分に問いかけをしたとき出てきたのが自分が傷つくのは嫌という気持ちでした。
好んで自分から傷つきにいく人もいないよなあと「そうだよね」と受容していたのですが、こういう考え方にも辿り着きました。
以下当時のノートから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
じゃあそうやって自分を守ることで、ボーダーを引くことで傷ついてる相手がいるとしたら?
わたしがボーダーを引くたびに、一線引いてるって気付くたびに、傷ついている相手がパートナーなんじゃないの?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


わたしは傷つかずに済んでるけど、その行動がわたしを大切に思ってる相手を傷つけてるかもしれないって何で気づかなかったんだろうって思ったんです。
事の重大さに気付いたわたしは「これはしっかりと向き合わねば」と思いました。
確かに自分も傷つきたくないです。
でもわたしが大事にしたいと願う、大切に想う相手が傷つくのも嫌だなと気付きました。
それに自分が愛されることに素直になるのは、相手へのお返しでもあるのかなと思ったんです。
それが相手を愛する、相手を大切にするってことにもなるのではないかとは思いました。
これからもパートナーと一緒に生きるために逃げずに向き合い始めます。


しかしまたまた行ったり来たり……。

ある日の朝はパートナーの太陽みたいなところが己を影をはっきりと出すんだよなあと感じたり。
共にいるとそれをはっきりくっきりと感じてしまう時があるからこそ離れたくなったり。

ある日はドラマを見ていたら「1人でいる孤独より、2人でいる孤独の方が辛い」という台詞を聞いて、それが嫌なのかもと気付いたり。
誰かと一緒になったら、もうそのひとがいない日々に戻るのは辛いし完全には戻れない。
それを抱えていきていくのも辛い。
死はどうしたって避けられないから、時間をかけて向き合うしかないけど、この世に存在しているのに自分の前にはもういないという現実と向き合うのが怖いんだと思いました。
それなら大事な人を作らず、ひとりで生きていく方がいい。
わたし、ひとりを楽しむの得意だしなあと思ったり。


日々感じたことを掘り下げて、その度にどうありたい?」「どうしていきたい?」を決めました。

その中でこんな気付きもありました。
当時のノートからです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
嫌われたくないとか自分の内側を小出しにするor見せないってその分自分の人生使ってるなあ。
早い段階で全てを見せてしまえば、そこで合う合わない判断がより早い時点でできるわけでお互いにとってはそっちの方がメリットでは?と思った。
先延ばしにすればするほど、自分も歳を重ねるし、それはつまり残りの時間を少なくしてしまうわけで。
人生にそんな時間残ってるか?って気付いた。
そう考えたら先に出してしまって、判断を委ねて次々いかないと人生は有限だなって思った。

そう考えるとパートナーは全部をわかっていて隣にいるわけで。
何を今更己のダメなところとか不甲斐ないところ知られたくないって言ってるんだろう。
冷静に自分のこと見えないのわたし自身じゃん。

今の時点で1年あっという間!って思ってるのにさらにここから3年5年10年と感覚が加速するとしたら、さくさくいかないと時間はどうしたって取り戻せないんだから。
世の中にピッタリと会う人もいればそうじゃない人間も当たり前だからこっちはやることやって、あとはゆだねればいいじゃん!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そこからパートナーシップについても「本当に自分が求めるパートナーシップって何だろう」と問いかけをしました。
こちらも当時のノートから


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そばにいると元気になれるというより、そばにいると思うがままの自分に戻れるというか。
1番自分の意思で動ける自由な自分でいられるというか。
わたしがパートナーに求めるのは元気になりたいとか、ある地点からの向上や上昇よりも本当にフラットな、ゼロ地点に戻ることなんだなあっていうのが見えてくる。
無理しない、こっちの自分の方がエンジンがかかるっていう自分になれる相手、(パートナー)はそういう存在ってことね!
と同時に、それをある程度放っておいてくれるというか見守ってくれる相手がいいのかな。
それも全部まさに(パートナー)!
相手に対してエゴが介入していないというのも大事なポイント!
エゴからくる「何かしてあげたい」もないし、してほしくなったらお願いしますって言える(パートナー)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そこから約1か月後くらいにパートナーシップの学びについて、講座で学んだことを思い出しながら書き残したことがありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あのケーキ食べたかったんだよね」くらいのレベルで恋愛や結婚したかったことを認めるっていう学びがあったけど、今まさにそれなのかなって思ったり。
もっと素直に軽やかに認めるってことをする学びなのかなって。
その学びをくれたパートナーなんだな。

パートナーに対しては本当にどこまでいっても信頼の気持ちが1番下にある。
信頼がまず最初にきて、その上に安心がきて「ああ、わたしこのひとと離れたくないんだなあ」ってふとしたときに感じて。
背景にはちゃんとわたしの日常がある。
わたしがわたしを生きることをすごく大事にしているから。
そこに違和感なく入ってきた感?
言葉にすると難しいけど、最初から「好きー!」というより積み重なってどんどん浸透してきて。
「ああ、このひとがいない人生ってわたしの人生ではないのかもしれない」って思わせるところがすごい。

(中略)

あとこれはわたしの性格もあるけど「当たり前と思っちゃいけない」っていう考えがあって。
今の環境が当たり前だと思っちゃいけないとかね。
それはその環境をくれたものや人に感謝の気持ちを忘れてはいけないって意味合いが強いんだけど、だからこそパートナーは「自分のことは当たり前にしてほしい」と言ってくれる人だった。
当たり前と思っちゃいけないと思わずに、(パートナー)だけは当たり前のように思ってほしいって聞いた。
まだまだ自分に許してないことが多すぎて、それを許すことを学ぶために来てくれた人。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


他にも中略の部分で書き出そうかと思いましたが、全てを知るのはパートナーひとりでいいかなと思っているので(ちゃんと美味しいところは本人にだけ開示笑)書ける部分だけですが、今読んでも「愛だなあ」と感じてしまいます。

この頃は毎日日記や記録をつけていたわけでないので、パートナーに関する記録で大きな気付きや向き合いのトピックはここで終わってます。
細かいことは書いたりしていましたが。


パートナーシップに限らず、自分が持つこれまでの価値観や思考を新しいものにするときってすんなりいくほうが稀だと思います。
何度も行ったり来たりを繰り返して、浮上するたびに決め直して。
わたしはそのときパートナーに気付かせて貰ったものや、サポートしてもらったことが多かったです。

前回の記事の中では「全てを話せる相手はパートナーとは別の人だった」と書きましたが、この頃はその相手がパートナーになっていたと思います。


このあと大きなトピックは年明け早々「指輪いる?いらない?」から始まります。
いきなりそこまで飛んじゃうんです笑

ちなみに明確な「お付き合いしましょう」の言葉はなく自然と一緒になりました。
この流れで「お付き合いしましょう」という言葉が出てきたらそれはそれで違和感だったと思います。
言葉にせずともエネルギーで会話しているようなこともありましたし、互いがそのエネルギーを感じ取ったんでしょうね🌷✨
自然と「ただそばにいたいからいる」その結果一緒にいる。
それがわたしたちの「流れ」ということだったのでしょう。


今日のお話はここまでです!
長い記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。
このお話を必要とする方のもとへと届きますように。

いいなと思ったら応援しよう!