何をもって失敗というのか
さてさて、移住直後から育て始めた綿花。
農業初心者、知らない土地、知らない気候、知らないことだらけ。
そんな私でも、初めての収穫を迎えました。
まだまだ先と思っていたものですから、二度見したし、喜びの声をあげました。えぇぁ〜?みたいな、謎の声。
コロンと可愛くて、猫の肉球みたい。
特別な手入れをせずに、土が合ってたなーって感じで綿が育ってくれたのですね。
フカフカの種子毛の部分がコットンです。
下に引っ張るとスルンと採れます。
まだまだ弾けていない実が多くて、少しずつですが収穫ゼロは免れました。ホッと一安心。
石がゴロゴロで耕すのは大変だったし、夏の日差しでスクスク育つから草むしりも大変だった。畑に出ればめちゃくちゃ蚊や虻刺されるし、汗臭いやら日焼けするやらね。ムカデとかビックリするし。
用意した材料は種と牡蠣殻石灰と有機配合の化成肥料。100%有機肥料にした方がいい気がしつつ、即効性があるとのことで甘えました。
たしかに、やっと第一弾の早い綿が弾けただけで、最後まで全部弾けるかは分からないけど。もっと収穫量増やしたいとか、そんなのはまだまだ先の話。
育て始めた頃、失敗するぞとか、無駄だから辞めておけとか、通りすがりに心配してくれる人達が少なからず居ました。
失敗したら可哀想だから、という善意があっての声かけだったと思おうとしていますが、明らかに「失敗しろ」という呪いに聞こえてしまうものもありました。
それは私の捉え方、聞こえ方だと考え直しても、そんな言い方ないじゃないか、と思ってクヨクヨしたり。
けど、種、撒いちゃったし。辞められないし……。
出来ることを作業していると、助けはやってくるもので。
石を手早く処理できる農具を教えてくれたり、肥料をやってなくて葉っぱの色が悪いと教えてくれた人もいました。
そっかそっかとそちらの意見は採用して、素直に言われた作業を。
おかげさまで背丈は伸びなかったけれど、それなりにスクスクと育ちました。
色々心配してやめておけと言ってくれた人達は、何をもって失敗と言ったのか分かりません。綿はまだまだ弾けたばかり。でも私の中では、いまのところとても満足な生育具合です。
綿なんて作ってどうするんだ、というご意見もありますが、休耕地にしておくなら食べないものでも、何か作ったっていいじゃない、って思います。
綿が出来て、これから糸を紡いで何にしようって次のステップに進めるのは、綿が出来たからなのです。
それ、やって何になるの?
ダンスも、パン作りも、好きなバンドの追っかけも。何をやってもやり過ぎると必ず言われてきた言葉。
じゃあ、なんで生きてるの?どうせ最後死ぬじゃん。そんな悲しい話、しないでしょうよ、と思うのです。
せっかく生きてるんだから、わーいって思える瞬間を一つでも多く過ごしたいのです。
それじゃダメですかね。
自分の力で何かを作る、育てる。
自分の身体で何かを表現する、発信する。
やらなかったら何も変わらないじゃないですか。失敗したくなければ、何も挑戦しなければいいし、何も目標なんて立てなければいいかと。
それでも何かやって変わる気がしたら、やってみたらいいじゃないかと思うのです。
人を傷つけること以外なら、なんでも応援する人でありたいと思うのです。
応援して、応援されて、わーいって瞬間がたくさん増えたら、なかなか悪くないと思うんですけどね。
虫食いとかもあるから、ここから全滅とかも……あったらそれで学び!!きっと!