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地域自治2.0。 地域と協働して、自らの手でエネルギーと食糧を作り出していく。
御代田へ来て間もない人でも、“森田さん”の名前を耳にする人は多いのではないでしょうか。
「通い稲作塾」、「薪びとクラブ」を主宰し、 人と地域をつなぐ“場”づくりを実践している森田秀之さん。「稲作塾も薪びとクラブもそれぞれに師匠と言える人がいて、僕はその師匠たちのフォロワーなだけ」と語る森田さんは、地域とコミュニティのハブとなる、フォロワーを束ねるリーダー的存在なのだと言えます。
今回の聞き役は、デザインエンジニア / Takramディレクターとして、デザイン、エンジニアリング、アート、サイエンスまで領域横断的な活動を行っている緒方壽人さん。東京で経験した2011年の震災で都市の生活に強いストレスを感じたことを機に、毎年夏は北海道のニセコで暮らす生活を始めたのだそう。ニセコへ通ううちに、都市と自然のバランスについて考えるようになり、2020年に都市部へもアクセスがよく、先に移住した仲間もいた御代田に家族で引っ越してきました。
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(取材は『Cafe&Bar green room 西軽井沢』のガーデンにて)
現在は、森田さんの主宰する「通い稲作塾」にも参加している緒方さんが、「地域やコミュニティのこれから」について伺います。
今回会いにいった人
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森田秀之さん
1966年東京都生まれ。早稲田大学大学院 理工学研究科 物理学及応用物理学専攻修士課程修了。1991年株式会社三菱総合研究所入社。2007年同社退職、御代田町へ移住、株式会社マナビノタネを設立。2020年株式会社コードマーク御代田、2021年株式会社コードマーク都城を設立。
教育文化施設や、イベント、観光ツアープログラムなどの文化事業を通じて、地域やコミュニティが課題やテーマを共有しながら創造的な活動を行う”場”づくりをおこなっている。開館に携わった公共施設には、せんだいメディアテーク、川口市中央図書館・メディアセブン、島根県古代出雲歴史博物館、武蔵野プレイス、瀬戸内市民図書館もみわ広場、石巻市復興まちづくり情報交流館、札幌市図書・情報館、都城市立図書館(現在、指定管理者事業共同体代表)などがある。
今回の聞き役
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緒方壽人さん
ソフトウェア、ハードウェアを問わず、デザイン、エンジニアリング、アート、サイエンスまで幅広く領域横断的な活動を行うデザインエンジニア。東京大学工学部卒業後、国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)、LEADING EDGE DESIGNを経て、ディレクターとしてTakramに参加。主なプロジェクトとして、「HAKUTO」月面探査ローバーの意匠コンセプト立案とスタイリング、NHK Eテレ「ミミクリーズ」のアートディレクション、紙とデジタルメディアを融合させたON THE FLYシステムの開発、21_21 DESIGN SIGHT「アスリート展」展覧会ディレクターなど。グッドデザイン賞、ドイツiFデザイン賞、文化庁メディア芸術祭等受賞。2015年よりグッドデザイン賞審査員。著書『コンヴィヴィアル・テクノロジー ー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』。
自分で決めた暮らしを試すために、会社を辞めて御代田へ来た
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ーー2020年の夏に御代田への移住を決めて、そのことをFacebookに投稿したんです。そしたら、僕が卒業したIAMAS(現・情報科学芸術大学院大学)をつくったメンバーが御代田にいるから会いにいった方がいいよ、といろんな人からメッセージが届いて。それが森田さんでした。それで実際に御代田に来てからお会いして。
「そういった移住先の情報ってありがたいよね。僕が御代田に来たのは、2007年。今みたいにSNSは浸透していないし、町に知り合いもいなかった。移住前から、 “米をつくること” と “薪をつくること” 、このふたつをやることだけは決めていたから、まずは図書館で『KURA』(長野県のローカル情報雑誌)のバックナンバーを読み漁って、この地域にどんな人がいるか、どんな団体があるかを調べるところからスタートしたんだよ」
ーーやることを先に決めていたんですか?
「そう。だから、それらを始める手段をまずは探そうと、雑誌を片手に電話をかけた。それで見つけたのが、小海町の子どもたちと田んぼやフィールドで活動している「NPO法人 じろ倶楽部」、もうひとつは佐久市周辺で山と人をつなげる活動をしていた「NPO法人 信州そまびとクラブ」だった」
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(「通い稲作塾」での稲刈りの様子)
ーー移住するまで、森田さんは三菱総合研究所に勤められていましたけど、そもそもどうして会社を辞めてまでして、米や薪をつくりたいと思ったんですか?
「2003年から06年にかけて、愛・地球博のサイバー日本館のディレクターをやったとき、専門家が口々にもう地球の気候は壊れていて、やがて世界規模で食糧難になっていくって言っていて、生きていけるだけの食べものを作るのはどれぐらい大変なんだろうと考えるようになった。
それに、この先の脱炭素とエネルギー問題を考えたとき、日本の風土には木質バイオマスが合っていることが分かった。それで、薪をつくることも知ろうと思って。会社に週5日の通勤を4日にしてくれと頼んだの。この平日の1日と土日をくっつければ3日あるじゃない。その3日で自分の活動をやって、残りの4日で新幹線通勤して。もちろん当時会社はそんなことを許していなかったんだけれど、新しい働き方の全社検討チームをつくって認めてもらったんです。でもその制度が施行されるのは2年後だと言われて、待てずに辞めてしまった。それで僕がやりたい暮らしを試しに御代田に来たんです」
ーー当時から森田さんの中では、自分の求めている形が強くあったんですね。
「いろんなことを考えていく中で、常識は自分が決めればいいんだっていうところに落ち着いたんです。ルールだからと、盲目的に従っていくほどこわいことはないじゃない。だから、自分が決めたことをやるのが、一番納得いくかなって。だから辞めちゃった。なんで働くかって、僕は充実した時間を作るために働きたい。
それに、世の中には豊かな暮らしをしている人たちがいるじゃない。セルフビルドで家を建てたりしてね。世間から脚光は浴びないかもしれないけれど、そういう人たち、そういう暮らしがあることを知ったことも大きかった」
ーー巷で語られるかっこいいクリエイティブと呼ばれるものとは違う次元のクリエイティブな生き方ですよね。
「クリエイティブな暮らしって結構問いただしていかないとできないんだよ」
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食べ物をつくること、エネルギーを確保すること。
ーーでは、話を戻して。移住後、森田さんは米作りと林業を一から学んでいくんですね。
「そう。僕の米作りの第一歩は、小海町のじろ倶楽部でした。じろでは子ども向けに地域の文化を伝え残していくという活動をしていて、その中で米作りも行なっていたんです」
ーーそこからどう稲作塾へつながっていくんですか?
「2009年の地区の新年会で、お米を作りたいと話して紹介してもらったのが師匠となる茂木重幸さんでした。
それで電話したら、5時に来てって言うから、おそるおそる、朝ですかね?って聞いたらあたりまえだって 笑。 重幸さんもすぐ音をあげるだろうと思っていたらしいけど、やりきった。一反もない小さな田んぼで、DIYした家の物置小屋が米倉になるほどお米が穫れて。あの時は泣けたよね、これで食べていけるって。会社を辞めてサラリーがないわけだから 笑」
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――文字通り、食べていけるものができるわけですもんね。
「安心だし旨いし、発見もいっぱいあって。それで2年目からは低農薬じゃなくて無農薬やりたいって重幸さんに伝えて。都市部から定期的に通ってもらって田んぼを通じて地域の人たちと交流する場としての通い稲作塾が始まった。徐々に田んぼの面積も増やしていって」
――稲作塾では子どもたちもたくさん参加していますが、もともと子どもと関わることにも興味があったんですか?
「子どもは好きだけど、じろ倶楽部のように子ども向けで何かをやろうとは考えていなくて。まずは、大人も子どもも自分の食い扶持を作ることが目的。これは子どもは危ないからとか、これは大人がやるから、と最初から分けるのではなく、大人が懸命にやっている姿を子どもは近くで観察しながら遊んだり手伝ったり。これが健全だろうと思った。そうして、自分のスタイルがだんだんとできてきました。
ミュージアムがいろんな人の見方を許容するように、ぼーっと見てもらっても構わないし、どんなふうに関わってもいいと思っていて。おもしろさって自分で見つけるものじゃないですか。農機の操作をおもしろいっていう人もいれば、昆虫の人もいるし、景色の人もいて」
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ーー現在、「薪びとクラブ」も主宰されていますが、林業の方はどんな風に始まったんですか?
「まず、林業に興味を持ったきっかけは、エネルギー問題でした。石油はまだまだあると言うけれど、原子力の問題とかいろんなことがある中で脱炭素を考えたとき、その土地に合ったエネルギーを確保することが大事。それで、木材由来のエネルギーを作り出せる山の現場のことを知りたくて、佐久の信州そまびとクラブがやっている泊まりがけの山守塾に参加したんです。そしたらめちゃくちゃ楽しくなっちゃった。
そまびとクラブは学生に植林の仕方を教えていたりして、すごくいい取り組みしてるなぁと思って通っていたら理事にもなっちゃって。そこで薪がほしい有志で薪びとクラブが始まった。林業の世界で収支を合わせるのはとても厳しくて残念ながらNPOは解散してしまったけれど、山仕事の師匠と仰ぐ人とふたりで薪づくりは続けた。いつしかみんなが集まってきて、再び薪びとクラブと呼ぶようになって、地域の山に入って、木を伐ること、山を整えることを学び合うような場になっていますね。
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(「薪びとクラブ」の活動風景)
色々やってみて、とにかくまずはフィールドに身を置くことがいいんじゃないかってことが分かりました。山仕事や農機は危険だから安全上の説明はするけど、あとは真似てやりながら感じてくださいって。説明をすると分かったつもりになるけれど、まずはあれこれ自分で試した挙句でこうやってやるんだよって言われたほうがガーンと腑に落ちるんだよね」
コードマークが描く未来
――新たな活動として、2020年に「コードマーク御代田」を設立されました。もともと縄の文様という意味の“コードマーク”という言葉があって、それを訳して「縄文」になったそうですが、具体的に「コードマーク御代田」ではどんな活動をされるのですか?
「今、御代田町面替(おもがえ)の山と集落の境界に拠点を作ってるところなのだけど、おおざっぱに言うと、“木を使う”という日本人がずっとやってきた文化を取り戻すための場所なんです。木を使うという行為をもう一回、職人からひとりひとりに戻したい。もちろん、木だけではなくて、祖先たちから伝わる、自然と共に生きる知恵、技を継いでいきたいと考えていて、その想いに賛同する人、地域に関係する人たちで拠点を作り、みんなで運営をしていく。例えば、製材に興味があっても、ノウハウを誰に聞いたらいいか分からないじゃない。そうやって実際に何かをやろうとしたときのためのインデックスを作りたいの。暮らしの芸となるものを蓄えていって、そこから先に、深められるようにリンクしていきたい」
――人がインデックスになっていくんですね。
「生活のライブラリーみたいな感じかな。ヨーロッパでは、最近ヒューマンライブラリーっていうのがあって、この人の話が聞きたいって言うと、たとえば30分インタビューできる」
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(現在建設中のコードマーク御代田)
――自然の大きいサイクルの中で芸を蓄えるってすごく大事ですよね。
「芸を蓄えていく過程を見る楽しみもあるよね。今、藍染に挑戦している仲間がいるのね。例えばそういう技を蓄えたら、みんなともできるでしょ。それをやる場所をつくっていく。
縄文時代は誰かが所有するっていう概念がなかったんじゃないかと言われている。そうそう、コードマークの仕組みを一緒に考えてくれている方の仮説があって。昔、狩猟が得意な人がいて、でも獲っても全部食べられないし腐っちゃうから、残りは人にあげようと思う。だけど、あげてしまうと上下関係ができてしまうから、残りものは一回神さまに捧げたことにする。そうすると長老がこれは捧げものだからっていうことでみんなに分配する。そうすれば上下関係ができないじゃない。これが税のはじまりなんじゃないかって。これを聞いた時、すごくいい関係性だな、これができたらいいなって思った。
稲作塾だって、作業が得意な人も得意じゃない人もいる。子どもたちと遊んでいるのだって役割だし。自然を見つけるとかね。自分はこれだけやったからこれだけ収穫物をもらっていいとかそういうことじゃなくて。ひとりでは乗り越えるには厳しいことをやっていく小さな地域の共同体をつくっていきたい。2021年に宮崎県都城市にもコードマーク都城ができました。そういう共同体が全国各地にどんどんつくられていって、それらがまた繋がって協力し合って、社会や環境の激変も乗り越えていけるといいなと思っているんです」
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(文・写真)manmaru(編集ディレクション)村松亮