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もののけスペシャルトーク「妖怪のかたちを語る」

令和4年5月15日(日)に、三次ふれあい会館(三次コミュニティセンター)にて、春の企画展「妖怪のかたち2 あつめて・くらべて・かんがえる」関連イベントとして、もののけスペシャルトーク「妖怪のかたちを語る」を開催しました。
本記事は、このイベントの講演・対談の全内容を書き起こしたものです。

※令和4年度 春の企画展「妖怪のかたち2 あつめて・くらべて・かんがえる」は、湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)にて、令和4年3月10日~6月7日に開催した企画展です。現在は終了しています。

【次 第】

イベント名:湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)春の企画展「妖怪のかたち2 あつめて・くらべて・かんがえる」関連イベントもののけスペシャルトーク「妖怪のかたちを語る」
 
会場:三次ふれあい会館(三次コミュニティセンター)大ホール
   〔広島県三次市三次町1828-5〕
 
日時:令和4(2022)年5月15日(日)
 
午後0時30分 開場
午後1時30分 開会 
午後1時30分 講演「変わる妖怪のかたち」
     講師 湯本 豪一 氏 (湯本豪一記念日本妖怪博物館 名誉館長)
午後2時15分 休憩
午後2時30分 対談「妖怪のかたちをつくる」
     講師 湯本 豪一 氏 (湯本豪一記念日本妖怪博物館 名誉館長)
        吉田 狐稚 氏 (彫刻家)
コーディネーター 吉川 奈緒子  (湯本豪一記念日本妖怪博物館 学芸員)
午後3時00分 閉会

【講師紹介】

湯本 豪一 (ゆもと こういち)
昭和25(1950)年生まれ。民俗学者、妖怪研究家。法政大学大学院卒。元川崎市市民ミュージアム学芸室長。在職中から個人で蒐集した日本最大級の妖怪資料の「湯本豪一コレクション」を三市に平成28(2016)年に寄附し、このコレクションを基にした湯本豪一記念日本妖怪博物館が平成31(2019)年4月26日、稲生物怪録の舞台となった三次市三次町に開館。現在、湯本豪一記念日本妖怪博物館名誉館長。

吉田 狐稚 (よしだ こわく)
昭和49(1974)年生まれ。彫刻家、文化財修復技術者。大学卒業後、文化財修復を専門とする会社に就職。現在はフリーランス。復元模型などの展示資料の制作、版権フィギュアの制作・販売、オリジナル作品の発表など多岐に渡り活躍中。
主な収蔵機関:川崎市市民ミュージアム、横浜市歴史博物館、森山大道写真財団、国際交流基金、湯本豪一記念日本妖怪博物館など。


(吉川)大変長らくお待たせいたしました。ただいまより、『湯本豪一記念日本妖怪博物館 春の企画展「妖怪のかたち2 あつめて・くらべて・かんがえる」関連イベント もののけスペシャルトーク「妖怪のかたちを語る」』を開会いたします。私は本日、司会とコーディネーターを務めさせていただきます、学芸員の吉川奈緒子(きっかわなおこ)と申します。よろしくお願いいたします。

現在、湯本豪一記念日本妖怪博物館で開催しております春の企画展『妖怪のかたち2 あつめて・くらべて・かんがえる』は、妖怪の“かたち”に焦点をあてた企画展で、さまざまな妖怪のかたちを見て比べて、その面白さを発見したり、またそのかたちを獲得した由来を考える内容です。もののけスペシャルトーク「妖怪のかたちを語る」は、その関連イベントとして、企画展をより深く理解していただくために開催するものです。講師には、当館名誉館長の湯本豪一(ゆもとこういち)先生、そして、彫刻家の吉田狐稚(よしだこわく)先生にご登壇をいただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

まずはじめに、プログラム①として、当館の名誉館長である湯本豪一先生に講演をお願いしたいと思います。
湯本先生は、昭和25年、東京都のご出身で、川崎市市民ミュージアムで学芸員を務められる傍ら、長年、妖怪資料の蒐集も行ってこられました。その約5000点にも及ぶ、日本随一の妖怪コレクションをご寄贈いただき、開館いたしましたのが当館、湯本豪一記念日本妖怪博物館です。三次を舞台にした妖怪物語「稲生物怪録」とともに、妖怪のまちとして、三次を大変盛り上げていただいております。本日は「変わる妖怪のかたち」と題して、御講演いただきます。それでは、先生どうぞよろしくお願いいたします。

プログラム① 講演「変わる妖怪のかたち」

(湯本)湯本です。よろしくお願いします。今日私に与えられたテーマなんですけれども、「変わる妖怪のかたち」ということで、展覧会とコラボしたタイトルでお話させていただきます。すでに展覧会をご覧になった方も、これからご覧になる方もいらっしゃると思いますけれども、展覧会をご覧いただくにあたり、いくらかでも参考になれば、ということで。今回は時間が45分と限られておりますので、いくつかをピックアップして、私が自分なりの切り口で皆さまに解説し、「かたち」というくくりでの妖怪の一端を知っていただこうと、そのようなかたちで進めさせていただきます。
この「妖怪のかたち」というくくりの展覧会は、今まであまりなかったように思います。いつも皆さんが見ていらっしゃるのは、絵巻にしろ、錦絵にしろ、まさしく「妖怪のかたち」、妖怪がどんな姿をしているか、をご覧になっている、そういうことだと思います。ただ、具体的にそれを「かたち」という視点で考えた場合、なんとなく漠然と見てたりとか、あるいは流しながら見てたり、というものを、もう一度じっくり見ていただく機会にもなるんではないかと思っております。
「かたち」は、当たり前のことなんですが、ビジュアル化されたものなんですね。「妖怪」というくくりで考えた場合でも、「かたちになるまで」というのは実は長い時間がかかっていたと思われるわけなんです。どういうことかと言いますと、最初には、妖怪を誰かがみた、それについて、そういえば同じようなものを私も見た、なんていうような噂があったりして、その過程で、伝説になって言い継がれていったりしたと思うんですね。その中で、妖怪にとってある意味運がいいのか、記録に残されたものも出てくる。そういった長い歴史があった中で、最終形としてビジュアル化が行われるわけですね。我々が見ている錦絵にしろ絵巻にしろ、まさしくビジュアル化されたもので、妖怪の資料などで書かれた文書などもありますが、それは文字面(もじづら)だけであって、視覚に訴えてくるということを考えるとインパクトがだいぶ違います。
このビジュアル化、要するに画像化されていくというのは、記録されたもの、あるいは噂だとか伝説などで伝わっていたものから、さらにある意味で、ラッキーで選ばれたもので、それがビジュアル化されていったということで、現在まで続いています。我々は当たり前のように、例えば「河童」と言うと、説明しなくてもなんとなくその河童のイメージって皆さん、おわかりになると思います。天狗にしろ鬼にしろそうですけれども、頭に沸いたイメージを突き合わせてみますと、大体皆さん同じような姿を想像なさっています。私が学生などに授業で話したりする時に、例えば「河童」というもので、皆さん「河童」と言うと、細かく「河童とはなんぞや」ということを説明しなくても、イメージがわくでしょう。そのイメージはみなさん、ほぼ同じような形になると思うのですが、では「いつそのイメージを知識として身につけましたか?」と聞くと、誰も分からない。お父さんやお母さんに聞いたというわけでもないし、学校で先生に教わったということもないけれども、いつのまにか知識として身につけている、実はこれ、いつの間にかみんなが共通の情報を得ているということになる訳です。それが現在まで若い人まで続いているということで、私たちは現代社会の中で「妖怪」と言うと、昔の話のような気がしますけれども、妖怪文化というものに知らず知らずのうちに皆、なんらかの形で影響を受けている、ひとつの証左にもなるんじゃないかと思うんですね。どういうことを言いたいかというと、実はみんな知らないけれど、文化として引き継がれたものが、我々に何らかの影響を受けたり、そういうものに感化されながらの生活があったということですね。
現在は妖怪の流行によって、各地でいろんな展覧会やイベントがあって、特に夏になると多いです。私も長い間博物館にいましたけれども、博物館とか美術館での、様々な展覧会のブームって波があるんですね。例えば印象派が注目されて、それの展覧会が多い時があったり、とかまた別な物があったりとか。そういう中で、妖怪の流行はずっともう何十年もコンスタントに、何らかの形で注目され続けています。これについて、例えば、妖怪ブームの牽引者として水木しげるさんや、小説家の京極夏彦さんがいるということを言われますが、それはそれで否定するものではないんですが、逆に言ったらそういうものを受容するだけの土壌があった、この土壌というのは、先ほど河童の話をしましたけれども、気がつかないうちに連綿と祖先から引き継がれた妖怪文化っていうのが結構身近な所にあったからこそ、我々は水木しげるさんや京極夏彦さんなど、そういう人たちの作品を受け入れるだけの土壌を持っていたのではないかと思うわけです。
そんなようなことで、妖怪は実はビジュアル化するには、相当長い時間がかかったけれども、我々が妖怪のビジュアルにいろんな形で大きな影響を受けて、頭にインプットされているということを考えながら、展覧会などもご覧いただければと思います。
では、いくつか具体例を出して言及してみたいと思います。

これは「髪切(かみきり)」という、「化物づくし絵巻(ばけものづくしえまき)」に出てくる妖怪です。(この絵巻は)いくつもの化物、要するに妖怪ですね、それを描いた図鑑的なもので、Aという妖怪、 B という妖怪、Cという妖怪、というような、絵巻の中にいくつも登場するようなスタイルで、「化物づくし絵巻」というものです。狩野由信(かのうよしのぶ)という人が享和2(1802)年に描いたものからピックアップしました。「髪切」はこう、くちばしが大きくて、天狗の子どもみたいなかたちをしていると思います。手の指がハサミみたいになっておりまして、ここでチョキンつって髪を切るんですね。この絵巻のこのかたちっていうのが「髪切」という妖怪のポピュラーな姿なんですけれども、ここのところで川の流れみたいな感じで描かれていますが、他のものはもっとはっきり髪の毛が描かれていたりしますけれども、これは「髪切」が切った髪の毛なんですね。こういうようなかたちのものが描かれているという、こういう絵巻があります。次お願いします。

これは、別の江戸時代の「化物づくし絵巻」ですけど、これも「髪切」という妖怪です。先ほどのと比べてもらうと全然姿が違うということがおわかりいただけると思います。天狗の子どもというより、足や関節やなんかを見ますと、昆虫か何かを妖怪化したような、そんなスタイルかと思われます。顔つきも全然違いますね。 ここにやはりハサミのようなものがあって、「髪切」となっているので、これは人の髪をはさみで切る妖怪なわけです。先ほど見ていただきましたものと、これと、全然違うのがお分かりいただけると思います。まさしくこれが同じ「髪切」と言っても全く違う姿で描かれてるんですね。ですから、例えば私と皆さんが、ここに今急に妖怪が現れて、怖いと思って後になってからそれぞれ一人一人がそこに出てきた妖怪を描いた場合、おそらくここにいらっしゃる4、50人の方と私と、同じだけれども微妙に違っている、と言うかたちになってしまうんじゃないかと思います。まさしくそのかたちっていうのは、様々なイメージを膨らませたり、言い伝えを描いたりした時に、こういう風に形が違ってくるということがあるんですね。
実はここにありますように、先ほど見ました「髪切」とこれは同じ「髪切」を描いても違っている、違う系統の絵巻ということなんですね。先ほど「髪切」を例にお話しましたが、同じ名前でも姿かたちが全然違う妖怪がいくつもあるんですね。まさしくこれは、色んな情報や、それをどういう風にイメージするか?というところで変わってしまった、ということです。妖怪の姿かたちを伝える、あるいはそれが伝わってくる中であっても、必ずしも一つではなく、皆さんがイメージする河童というのも本来はいろんな姿があったんだけども、だんだんだんだん、違いが出てくる中で、皆さんがイメージする河童のようなかたちに集約されていた。という、そんなようなことが読み取れる一つの資料である、ということです。

これは幕末の錦絵なんですけれども、こちらも「髪切の奇談」という、「髪切」を描いたものだとおわかりいただけると思います。これは、右側の真っ黒坊主のようなもの、これが「髪切」です。こちらは東京で起こった事件ということで、当時の新聞にもレポートされているようなことなんですが、夜中に武士の屋敷で女中が厠(かわや)に行ったら、「髪切」に襲われて髪を切られてしまった。その髪を切ったのが、こういった真っ黒いわけわかんないようなかたちの妖怪だった、という事件を、錦絵にしたものなんです。ですから、さっきの絵巻のようないくつかの系統があって、いろんな姿が描かれていると同時に、そういうものとは全く別に、「髪切」というような事象で、その時目撃されたものを見てこういう風に描いているものもある。まさしく同じ妖怪でも様々な多様性があるということが見ていただけるのではないでしょうか。

そういう中で、一つ面白い例として挙げたいのが、この「見越し入道(みこしにゅうどう)」というものなんです。「見越し入道」というのがどんな妖怪かと言うと、すごく背の高い、まさしく「見越し」となっていますけれども、背の高い化物がいて、それを見上げれば見上げるほど、どんどんどんどん大きくなっていく、ざっくり言えばそういう妖怪なんですね。こちらは鳥山石燕(とりやませきえん)の『画図百鬼夜行』という、非常に有名な妖怪本に描かれている、「見越し」、あるいは「見越し入道」と言われるものの絵ですね。皆さん、大木のところににょ~っと出てきた「見越し入道」が描かれているというのがおわかりいただけると思うんです。大木が左側にあるので、その大木との対比の中で、ここに描かれている「見越し入道」なるものが相当大きなものだと、絵からイメージしていただけると思います。こういう風に、木があって横に出てきた巨大な妖怪、というもののイメージを、覚えておいていていただきながら、次の絵を見ていただきたいと思います。

こちらは先程の「髪切」と同じ、「化物づくし絵巻」に描かれている「見越し入道」なんですね。どこにも、「見越し入道」と書かれていないので、これだけ見ると何も知らない人だったら「見越し入道」なのかわからないし、もしかしたら人相の悪い隣のおじさんか何かかなという風に思っちゃう人もいるんじゃないかと思います。いずれにしても、先ほどの絵もそうですが、「見越し入道」と言うと、このスタイルが結構一般化しています。ところが、皆さん見ていただいてこれを見てすぐに「見越し入道」だと思われる人は、まず、妖怪を詳しく知っている人なら別ですけれども、そうでなければほぼいないんじゃないかと思います。

ところが、これが「見越し入道」だということはこれでもお分かりいただけると思います。これは双六の中の一場面ですが、これも大きな顔、あるいは上半身だけを描いて「見越し入道」という風にしているんですね。このようなかたちで大きな顔を描いて、「見越し入道」だというようなスタイルが一般化して、先ほどのもこちらも、「見越し入道」と書いてあるから「見越し入道」だという風に思うかもしれませんが、書いていなければ、ひげのはえた人相の悪いおじさんのように見えてしまいます。まさしく、「見越し入道」が元々は巨木と対比するほど大きな妖怪だった、という情報が集約されて、上半身のこういうものを描いただけで、これが「見越し入道」だとして認識されていく。対比するための大木を描かないなど、元々あった情報を削除したとしても認知されるということですね。
このように様々な妖怪も、元々はそれがどのような場所に出るか、どんな状況で出るか、と言った背景も描かれていたところから、やがて背景などを省いてしまっても、その妖怪がすでにみんなに認知されているので、説明をしなくてもわかるようになる、そういった順番で、段々と集約されていく、というようなことが行われてくるわけなんです。
江戸時代は、様々な妖怪の絵がありますが、まさしくそのようなことがおこります。皆さんがほぼ同じような情報を持つに至る、それの一つの大きな要因として出版文化が盛んになり、手書きだけではなく、印刷物として、皆が同じものの情報を同時に入手することができる、それによって同じような認識をする、そういうことが可能になる、そのような背景があったと思います。まさしく「見越し入道」もそれを象徴するようなものです。上半身の大きな顔を描き、「これが見越し入道だ」として認知をされていたということもあげられます。

こちらは、先ほどの「化物づくし絵巻」の中に出てきます「ぬりかべ」です。皆さんは「ぬりかべ」というと、おそらく水木しげるさんの食パンのような姿の妖怪を思い浮かべるんじゃないかと思うんですけれども。これが最近まで、「ぬりかべ」と言うと、一番代表的なものだったんですね。ところが、実際には「ぬりかべ」というのは、壁のように何か立ちはだかってそこを通れなくなっちゃうというような現象が起きるということが、いいつたえや記録などで残っていますが、絵としては一切残っていなかったんですね。そういう中で、水木さんが食パンのような「ぬりかべ」をお描きになったのは、今言った話からイメージを膨らませて、食パンのような「ぬりかべ」というものを自分で創造されて作られた、そういう作品なわけです。その後、「ぬりかべ」という獅子だか犬だかわからない、ちょっとぶくぶくしたようなこちらの「ぬりかべ」が見つかったんですね。こちらには実は、「ぬりかべ」ってどこにも書かれていないんですけれども、この絵が描かれた絵巻は、日本では三次もののけミュージアムにあるものだけしかないんですけれども、もう一点確認できるのはアメリカにある大学の図書館(編注:ブリガム・ヤング大学〔アメリカ合衆国ユタ州〕)のものです。ミュージアムの絵巻と同じ絵が描かれていて、その横に「ぬりかべ」と説明がなされていることから、これが実は「ぬりかべ」だということがみえてきました。何を言いたいかって言うと、「話」というのが伝わっていて、そこから水木さんはああいうイメージを創造しましたけれども、同時にこの「ぬりかべ」がどの程度その話に影響があるかというのはまだ明らかにされていませんが、いずれにしても「ぬりかべ」という名前ですから、ほぼ同じようなイメージの怪奇現象の中から生まれたものじゃないかと思います。こういう全く水木さんとは違うような姿を描いていた人がいた、ということなんですね。この妖怪の「かたち」の事例のように、「ぬりかべ」というものが全く違う姿をしているということが分かったわけです。今回見ていただいたのは、全部「絵」なんですね。「絵」は、物語や噂が記録されていった最終形のような段階で「絵」になるって言うことを言いましたが、ある意味で最終形というか、もう一歩進んだ「かたち」があります。それが立体化なんですね。これまでご紹介したのは、紙に描かれたもの、平面としてのものです。

妖怪と幻獣の違いというのに触れると時間がなくなってしまいますけれども、この「幻獣」という、実際にはいないけれども、いると信じられていたものとして、「異獣の図」というものも紹介したいと思います。
こちらは築地(つきじ)の細川邸に落ちてきた「異獣」です。なんともいえない不気味な姿ですけれども、上の説明によりますと、長い角(つの)のようなもの、これ実は、角ではなく鼻なんですね。鼻の下に目玉が一つあって、横から見て「一つ目かな?」と思って説明を読んだら、一つ目で大きな目玉が一つあって、一番最初の新幹線のようなかたちで丸くなっている、そのような妖怪です。こちらの図を覚えていただいて…

これも同じようなことで、これは「怪獣之図」(かいじゅうのず)というタイトルになっていますけれども、先程見てもらったのと同じようなものです。なんとなくあの鼻の様子から同じようだっていう風に思われるけれども、同時に、先ほどのものに比べると素人が描いたようなんじゃないかと思われるところがあるんじゃないかと思います。

こちらも細川邸(ほそかわてい)に落ちてきた妖怪なんですけれども、これも似てることが、鼻の具合などで分かります。説明文があって、同じ時のものだということがわかりますが、これぐらいなら私でも描けそうな絵ですが、素人が描いたから、こんな描かれ方しているんですね。

こちらは大阪城の堀に出てきた「奇獣」(きじゅう)と言われるものです。幕末のものです。色もつけられているのでなんとなくイメージがわきます。ワニのようなトカゲのような、何とも言えないような姿だということが見て取れると思います。

それがですね、別の資料によると、このようなかたちで描かれています。こんなこと言うと、怒られるかもしれませんが、小さい子が描いたようで、むしろ愛らしいぐらいな絵ですが、このような描かれ方をしています。
このように「幻獣」をいくつか紹介しましたが、今まで見ていただいた「妖怪」の絵とちょっと違う傾向があるということがおわかりいただけたと思います。どういうことかと言うと、下手くそな絵が結構あるんですね。下手くそな絵をなぜこういう形でわざわざ出したかと言うと、最初に描かれた時、絵師や絵心のある人が描かなかった時は、こんなような感じだったと思います。妖怪もこういうようなスタイルで、もともと描かれていたものが、江戸時代などに絵師やなんかが関わったりすることで集約され、精度を上げていって、みんなが見られる絵巻にも描かれるような、いわばスキルアップされた姿になっていったのではないかと思います。
それに比べて、変な物や生き物が見つかった、と言うと、ツチノコみたいなものと同じように、地元に出てきた噂を誰かが描いた、といった感覚がまだ残っているので、下手な素人が描いた、というような状況が起こったのではないかと思っているわけなんです。
いくつかの資料を見ていただきましたけれども、いろんな段階の資料があるということがおわかりいただけたと思います。その時にどういう人たちが描いたか、どういう風なイメージでこれを見ていたか、そんなようなことがわかる。妖怪に接したり、話を聞いて絵にイメージを膨らませたり、我々の祖先の心の動きなどもいろんな姿を見くらべてみることによって浮かび上がってくるのではないかと思うんですね。
こういった形で、妖怪というものが、様々な趣向で発達したり、別な方に分かれていったりということが、記録されています。先ほどちょっと言いましたけれども、こういう風なかたちで絵に描かれているものが最終形として、立体化されていきます。具体的なものは、根付などですね。根付は、象牙や骨や焼き物をかたちにした小さな塊のことで、財布などの貴重品をおとさないようにとめておく、ぶら下げて使うときのストッパーのようなものです。そこに細かい細工をほどこすということは、日本の得意とするところかもしれませんね。根付に使うということで、妖怪は立体化されていきます。絵で描いた場合は、ある一部分から見た姿しかありません。横や後ろ、上から見た姿はどんな姿か、絵はある一部分を見ているだけなのでわからないんですね。しかし、根付や像など、立体化されていくことによって、絵に描かれてないところも想像をたくましくして制作していくという過程が出てきます。このような様々な「かたち」というくくりの中で見ていただいても、妖怪の動向や発展過程など、様々な情報を読み取ることができると思うんです。今回の展覧会も、そのような視点で見ていただきますと、例えば立体の根付や像は既に立体化されたものを楽しんでいただけると思うんですけれども、錦絵や絵巻であれば、立体化したら「自分だったら後ろはこういうイメージだな」なんていうことを想像していただきながら、見ていただくと、より楽しいものになるのではないでしょうか。江戸時代の人もそういうよう風に楽しみながら妖怪に接して、立体化したり、あるいは今までと違うイメージの絵にしてみたり、ということが行われていたんだと思うんですね。江戸時代と言うと、日本の妖怪文化の中で一番花開いた時期であります。絵巻や根付などを制作する人が数多く活躍したわけなんですが、そのベースとして、制作活動を支持したり、受容したりする当時の人たちがいたからこそ、そういう発展があったということを知っていただければと思います。現在、皆さんが妖怪が好きで関心を持ったり、展覧会や妖怪の漫画などを支持されていることよって、より広く妖怪文化が形成されていることを考えると、江戸時代と現在の我々の動きを比べても、意外と同じようなもので、鏡を見てるように、遠い昔の話ではなく、基本的には同じようなことで、祖先が怖がったり、楽しんだりして妖怪に接していたことは、現代に生きる我々と同じような心境だったんだなということは、想像していただけるんではないでしょうか。
今回は簡単な説明となってしまいましたが、ご覧いただいたいくつかの画像と、お話させていただいたことを踏まえて、実際に展覧会を見ていただきながら、妖怪文化を愛した我々の祖先の気持ちにタイムトリップしてより楽しんでいただければありがたいです。時間となりましたのでお話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
 
(吉川)湯本豪一先生、ありがとうございました。もう一度盛大な拍手をお願いいたします。ただいまより、15分間の休憩のお時間とさせていただきます。プログラム② 湯本豪一先生と吉田狐稚先生による対談「妖怪のかたちをつくる」は、14時30分より開始となります。お時間になりましたら、お席までお戻りくださいませ。

プログラム② 対談「妖怪のかたちをつくる」

(吉川)それでは、お待たせいたしました。続きまして、プログラム② 湯本豪一先生と吉田狐稚先生による対談「妖怪のかたちをつくる」を開始いたします。講師は、湯本豪一先生と、吉田狐稚先生にお願いしたいと思います。
まず、吉田先生のご紹介です。吉田先生は昭和49年生まれ、文化財修復技術者で、彫刻家でいらっしゃいます。復元模型などの博物館展示資料、版権フィギュアからオリジナル作品の制作まで、多岐にわたりご活躍をされております。湯本先生、吉田先生は、お二人が川崎市市民ミュージアムでお仕事をされていた時代から、約20年の長きにわたって、“妖怪のかたち”をテーマにタッグを組まれてきました。本日はそんなお二人による、初めてのご対談となります。私もコーディネーターとして、参加させていただきます。それでは、よろしくお願いいたします。
 
(吉川)さて、今回の対談は、「妖怪のかたちを作る」と題しておりますが、吉田先生が立体化された湯本豪一コレクションの作品のいくつかについて、お二人にお話を伺って参りたいと思います。大変深いご親交のおありになるお二人ですので、どうぞ、ざっくばらんなお話もお伺いできればと思っております。まずは、当館の展示室出口に常設展示しておりますこちらの作品、「河童」について、お尋ねいたします。湯本先生、こちらの作品について制作に至った経緯をまずお聞かせいただけますでしょうか?

(湯本)皆さんも博物館へ行かれたらお分かりだと思いますけれども、出口のところに、「また来てくださいね」と愛嬌をふりまいている大体高さ1メートルくらいの河童の像があります。この画像の右の方にあります「水虎考」(すいここう)という文献に描かれている右側の河童なんです。よく言えば可愛らしいと感じるかもしれませんが、ちょっとしょぼいと言うか、うなだれているうつむき加減の河童のようだと感じるかと思います。河童は一番よく知られている妖怪なので、吉田さんとお話しながらこの河童を選定させていただきました。他にも様々な資料に河童が描かれたんですけれども、この河童の何とも言えないしょぼさといいますか、自分もしょぼいせいなのか、なんとなく自分と合って何か面白いのでこの絵を立体化してくれと依頼しました。その後、制作中もいろいろお話させていただきながら、この河童が完成しました。この画像は正面からの写真です。正面から見てても少し首が前の方に出ているような感じが見てとれると思うのですが、横から見ると、まさしくこんな感じでちょっとうなだれてなかなかいい味をだしてるんですね。そういうような私の好みの河童であると言うのと同時に、一番象徴的な、同じ河童でも(水虎考の)図版の左の亀のような河童などはなかなかお馴染みではないと思うので、皆さんがよく知ってる河童で、なおかつ、自分の事言っちゃって恐縮ですが私のお気に入りの姿なので作っていただいたというような経緯があります。そういう感じでしたね。

(吉田)この河童は、横から見ていただいた方がわかりやすいですけど、結構特徴的なポーズをしてますよね。

(湯本)そう、独特の。

(吉田)あれは、別に私が意識してああいうかたちにしようと思った訳ではないんですよ。基となった「水虎考」(すいここう)という資料の絵には、首が描かれてないですよね。それを立体化する時にどうやったらそういう風に見えるだろうかって考えた時に、ちょっと首を前にだして、首をすくめたような感じにして、それに合わせて首から体にかけてのラインが自然になるように、ちょっと背中を丸めたって言うだけで。絵から逆算して作ると必然的にあのポーズになっただけで、私が特徴的な河童を作ってやろう、注目を集める河童にしてやろうと思った訳ではないです。

(湯本)先程私たちが話した中に、吉田さんが立体化する時にどんなようなことを思われていたか、個人の思いとして、絵をどのように読みといて立体化したか、という話も出てきましたが、まさしく先程の根付のお話のように、立体化する過程の話にも通じると思うんですね。ただ吉田さんは、私がオーダーしたということもありますけれど、自分のイメージを膨らまして想像をたくましくいろんな形にする、というよりも、絵から自然に読み取れる形としてどういうような立体物になるか、それを一番優先した形で作ってください、と最初にお伝えして、吉田さん自身もそれがいいですねという形で作ったということです。この(河童の)絵を吉田さんという制作者が作る場合にはこういう風なことになる、ということで、われわれがやり取りした過程はそのまま200年前300年前も同じようなことが行われていたんじゃないかという気がしています。

(吉川)これまでお二人の信頼関係の上に、様々な制作のやり取りがあって、吉田先生が資料にそって形を忠実に制作されていったと思うんですけれども、河童を作る時に、「ここが問題になったよ」と言うとことがあったら教えてください。もめたところはありますか?

 (吉田)もめたりしたことはなかったですね。問題になったのは、股のところにある丸い印、これが意味してるところがちょっと分かんなかったですよね。わからないので、あとあと資料が出てきた時に修正できない可能性があるので、はっきり造形で表現するのはやめよう、とりあえず円を描くに留めておこう、という話になりました。

(湯本) 立体化するとき、この絵は前と後ろしかないので、情報が100%そろっているわけではない中で、分からないところをどのように表現していくか?という部分に非常に苦労しました。例えば、頭の毛もどういうものにするかについてやり取りしましたね。出来上がってみれば、こういう風な河童像なんですけれども、いざ作ろうと思っても、元の絵を見ているとわからないところ、あるいは、どちらにも読み取れるんじゃないか?というようなところもあって、そういうところの想像をたくましくし、これは必然的にこっちになるんじゃないか、というようなやりとりは結構面白い作業でした。吉田さんはいかがですか?

(吉田)私はあんまり作る時に、自分で想像して作るっていうことがあんまりないんですよ。ちょっとそのへんが創作フィギュアを作る時と感覚が違うんですけど、いかに資料を忠実に再現するかということに一番重きを置いているので、例えば、勝手にしわを2本3本つけくわえて、もっとしわらしく見せてやろう、というようなことは絶対にしないですね。資料にしわが2本しか描かれてなければ、絶対2本しか作りません。当然ですけど、しわの形っていうのはちゃんと資料に忠実に形をトレースしてやるっていうことを一番大事にしていますね。私のフィギュアがメインではないので、やっぱり基となった作った資料、原資料(げんしりょう)っていうんですけど、なので、あんまり注目されるのはいいことではない。あくまで私が作ったフィギュアは、資料に導くための導入の部分にすぎないと、そういう感覚なのであんまりやりすぎず、やらなさすぎず。これが一番気をつけていることですね。

(湯本)吉田さんにおっしゃっていただいたように、「想像をたくましくしていろいろなことを行わない」ということを前提として制作していただいています。どういうことかと言うと、博物館などでは資料として飾るものなので、それ自身が改悪・改変が行われた場合、それがそのままのイメージとして固定されてしまったり、博物館資料として展示できなくなってしまったりはまずい、という認識が私も吉田さんもベースとしてありましたね。この河童以外にも全部で5体ぐらい作っていただいたんですけれど、これは喋っていいのかどうかわかんないですが、吉田さんが制作が間に合わなくてパンクしそうなので、後半に別の方にお手伝いしていただいたけれども、結局資料のイメージに合わず、改めて吉田さんにやり直していただいたということもあったりします。ですから、妖怪博物館で見ていただいてる河童に限らず、他のフィギュアもそういった背景を持ち、資料を忠実に再現したもので、研究の参考資料として博物館展示に耐えられるものである、ということは申し添えておきたいと思います。

(吉川)この河童は当館の出口にいつも展示されておりまして、アイドルのような存在になっています。資料を忠実に再現していただいているからこそ、この像を通して資料について考えることができる作品として、これ自体が博物館の資料として活躍してくれているなと感じています。

(吉川)次に、現在開催中の企画展で展示されておりますこちらの作品についての話もお伺いしたいと思います。まずこちらの制作に至った経緯を湯本先生からお伺いしてよろしいでしょうか。

(湯本)こちらは、プログラム①の際にお話した「ぬりかべ」です。この「ぬりかべ」については、日本でこの「ぬりかべ」の絵が描かれた絵巻は、妖怪博物館にあるもの一つだけなので、非常に注目されているので立体化をお願いして制作していただきました。ところが、先程の河童は背中もありましたが、このぬりかべはこの角度のこの一枚しかないんですね。 この資料から様々なものを矛盾のないような形で想像していただきました。後ろのお尻の辺りがずっと持ち上がっていたり、足の踏ん張り具合は、この絵をベースにして矛盾がないように、というような形で。できあがった作品をみて、非常に私も気に入りました。吉田さんとしても、いい出来だったそうです。
今、国際交流基金というところで、私が監修した展示会を世界各地でやっています。(編注:「妖怪大行進:日本の異形のものたち」)去年から始まり、スロベニア・イタリア・ロシア・トルコで実施しました。この6月からインドネシア・ニュージーランド・韓国を回って、その後、年度が変わってからも世界各地を回る展覧会です。その展覧会でも、絵だけではなく立体物は特に外国の方に興味を持っていただけるので、妖怪文化への入り口にしていただきたいという思いがあり、オーダーさせていただきました。こちらの作品をベースに、一人で持つのは難しいくらい大きい、90cmくらいのフィギュアを作っていただきまして、その展示会の入り口やメインの場所に展示していますが、非常に好評で私自身も喜んでおります。大きな迫力ある立体物だからこそ、海外の人もびっくりした、身近に感じた、と大きな反響があったりします。日本独特の妖怪文化ですが、ユニークだから外国の人が理解できない、ということはなく、見て面白かったり、興味を持ったり、不可思議だと感じたりだとか、そういった切り口から、皆さんに本当に興味持って見ていただけるようなことがわかってきて、開催して良かったと思います。同時に、今後もこういうような立体化を通して、もちろん、博物館や資料館・美術館の場合は、当然ですけれども、先程お話があったように、描かれた原資料を立体化するにあたっての様々な注意が必要ですけれども、立体化作業は、一般の人に興味をもっていただき、それを入り口にして、妖怪文化に親しみを持ってもらうための大きなツールになると展覧会を通じて感じています。吉田さん自身がどう思われるかは別ですけども、吉田さんには妖怪の立体化で妖怪文化に貢献していただいております。いかがでしょうか。

(吉田)私はさっきからぬりかべの話を全然できなくて、いつ話に割り込もうかと思っていたのですが、全然話に割り込む隙がなくて(笑)
ちょっとこのぬりかべを作った時の話をしたいと思います。先程、私は「作るときに全然想像しない」という話をしましたが、このぬりかべの絵は一方向からしか見られないので、反対側は想像で作らなきゃいけないわけじゃないですか。そんな時、どうやって作るの?というと、まず今見えている部分の、このしわが入っている体などの部分をまるっきり反転させて、転写します。だから、自分で勝手にしわをイメージしてとりこんでいく、という作業もほぼないんですよね。ですので、こちらのぬりかべに関しても、自分で想像して制作したとか、オリジナルな手を加えたところはほぼありません。おしりの部分に関しても、(資料が)こんな感じなので、もっとしわがぎゅっと集まった表現をしてもいいと思うんですけど、どこまでやっていいのかわかりません。むしろ、やりすぎると妙にリアルになってしまい、他とのバランスが取れなくなるのも困るので、実物を見ていただいたらわかりますが、しわの少ない、おしりにちょっと足がついたような味気ない造形に、あえて意図して留めています。そういう感じで私はフィギュアを作っているので、実はあまり「妖怪フィギュアを作っている」という感覚がないんですよね。

(湯本)こちらでオーダーしたのが妖怪というくくりだったという訳ですね。基本的には今言われたような制作方法で進めました。あとは、ぬりかべの場合はそうではなかったのですが、図版に出てなくても、いろいろな形で情報があったので、その情報を吉田さんに伝えて、それを基にあわせていく、というような形で進めていきましたね。

(吉田)どうしても自分でもわからない部分があるじゃないですか。これは何を意味しているのか、あるいは、立体化するのに物理的に難しいという場面があったとき、自分では判断しないで、必ず制作依頼者に確認をとるようにしています。ほんとに細かくとります。ここはどうしたら良いか、これは何を表現しているのか、そういったことを逐一確認しながら作っていく、という流れです。

(吉川)そのような流れで制作されたぬりかべを様々な角度から撮った写真をご用意しました。お話にあったおしり部分もありますので是非ご覧ください。

(吉田)おしり、すごい味気ないですよね。もっとしわとか作ってもいいんじゃないかと思うんですが、他の部分もそんなに緻密に作られている訳ではないので、全体のイメージにあわせて抑えめに作ったという造形ですね。

(吉川)吉田先生は湯本先生に都度ご意見を聞かれて制作を進めていらっしゃる、というお話がありましたが、その過程でも、お二人のご意見が違うことがないとお聞きしていますので、これまでと、今後にも、お二人の制作がつながっていかれるんでしょうね。

(吉田)湯本さんと妖怪の好みが似てるんですよね。大体「これ、いいな」と思うものは、湯本さんもいいと言うし、湯本さんが薦めてこられるものは私も良いと思って気に入るので、だから、作っていて楽なんです。

(湯本)感覚が一緒なのかもしれませんね。ものづくりは相性も関係してきますので、いい流れで制作できたと思います。

(吉田)湯本さんの依頼で制作する時はいいものができますね。

(湯本)ふふふ。

(吉田)やっぱり、イメージがあわない人からの依頼を受けると、どう作ればいいのか悩みながら作るので、納期の関係で期日が決まっている時は納品せざるを得ませんが、クライアントは満足しないだろうな、と思う時はあります。湯本さんとの時は、毎回これでいいと納得できて、妖怪フィギュアの完成度が高いものが多いです。

(湯本)完成した際に、吉田さん自身も「いい出来だった」とおっしゃっていただけることも結構ありますので、吉田さんが納得している作品が展示物になっていると思います。

(吉川)こちらのぬりかべのフィギュアは、ただいま開催中の「妖怪のかたち2」で展示されておりますのでぜひご覧くださいませ。
最後になりますが、お二方から、これからの妖怪のかたち、今後の作品の方向性などのお話をお伺いできたらと思います。

(湯本)先程の話と重複しますが、立体物にして見ていただくと、海外の方だったり、子どもさんだったりに非常に楽しんでいただけるんですね。博物館にあるような、江戸時代の文書や絵が、妙に敷居が高くなってしまうのはまずいと思いますので、喜んでいただける、楽しんでいただける立体物を妖怪文化の入口にしていただければ非常にありがたいです。また機会があったら、こういった新たなものを作って、皆様にご覧いただきたいですね。

(吉川)吉田先生も一言、お願いいたします。

(吉田) 私は湯本さんから言われたものを作るだけなので、今後どう、ということもないんですけれども(笑)やっぱり皆さんが見て、楽しいものが作りたいですね。おどろおどろしい感じのものより、愛嬌があって、人気が出るようなものをこれからも作っていきたいと思います。

(湯本)私と吉田さんとで作る時は、自然にそういうものになってしまうので、期待していただければ。

(吉田)湯本さんから、「これを作ってくれ」ということがあんまりないんですよね。資料を何点か見て、2人でどれにするか決めていくので、自然とおもしろい方向になっていくんでしょうね。

(湯本)まだはっきりしたことはわからないので、明言はできないんですが、といって、明言してしまっているかもしれませんが(笑)先ほどお話した、現在開催している国際交流基金の展覧会は、10年くらいの長いスパンで世界各地を回ります。その展覧会が終了後、展示物はどこかにとっておくのではなくて、寄贈したり、移管したりすることが多いので、その展覧会が全部終了したら是非ミュージアムに寄贈してくれないかと今からちょっと唾つけてるところです。ですので、もしかしたら10年後ぐらいにこのでっかいぬりかべをこちらでご覧いただけるかもしれません。その頃まで私の目が黒いかどうか分からないですけど、またこういうような形で、でっかいのをご覧いただきながらご説明できる機会があればいいなと楽しみにしております。

(吉川)ありがとうございました。お話は尽きませんが、そろそろお時間となってしまいました。湯本先生、吉田先生、大変楽しく、また貴重なお時間本当にありがとうございました。残りのお時間あまりございませんが、せっかくの機会ですので、先ほどの湯本先生のご講演、ただいまのご対談の内容で、湯本先生、吉田先生にご質問のある方はいらっしゃいますか?いらっしゃいましたら、手を挙げてお知らせください。
ないようですので、ここで終了とさせていただきます。お二人の先生に、もう一度盛大な拍手をお願いいたします。
長時間にわたり、まことにありがとうございました。この度のもののけスペシャルトーク「妖怪のかたちを語る」は、展覧会をより深くご理解いただくために、大変、意義ある会となりました。湯本先生、吉田先生、改めまして、ありがとうございました。最後になりましたが、このたびの展覧会ともののけスペシャルトークにご指導・ご支援いただきました関係者の皆様、またご来場いただきました皆様に厚くお礼申し上げます。まことにありがとうございました。
以上をもちまして『湯本豪一記念日本妖怪博物館 春の企画展「妖怪のかたち2 あつめて・くらべて・かんがえる」関連イベント もののけスペシャルトーク「妖怪のかたちを語る」』の日程は終了いたしました。企画展は、6月7日まで、湯本豪一記念日本妖怪博物館で開催しております。ぜひこの後もご覧くださいませ。それでは、お気をつけてお帰りくださいませ。本日はまことにありがとうございました。
 


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