ゆるゆると死に向かう感覚
こんなことを書くと、本当に病気で苦しむ人や、様々な生きる苦しみを今現在抱える人に失礼にあたるかもしれないが、私は自分の日々を省みて、「ああ、これは緩やかに死に向かってるんだなあ」と思うことがに時々ある。
その理由は明らかで、私の家に子供がいないことが影響している。
夫と二人暮らし、もう50歳になろうかというわたしたち。
若く見られるし、妻の私から見ても夫は贔屓目に見ても35歳くらいにしか見えない。夫もよく私をそう思うらしい。
でもふたりとも中身は随分年をとってしまった。
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今思えば、若い頃は、視野の狭さと何かに対する熱が同居して、ちょっとしたことに憤慨したり、夢中になったりしていた気がする。
もちろん今でも感情が湧き起こることはある。直接かかわる仕事なんかでは自分のプライドから熱く語ることもある。
しかしそれ以外の時は、いたって中立的で、中庸な見解や気持ちに落ち着いてしまう。
たとえば第三者の意見を見聞きして「これはなあ」と一瞬疑問を感じても、なにかこの人にはそういう発言をする背景があるのだろうかと想像したり、実際に言いたいことは違うのかもしれないと推し量ったり、そうこうするうちに誰の意見にも大きく傾くことがなくなった。
経験がものを言って、色んな立場にある人の心情を推し量り、更に、わかっていてもあえてそこには触れない、みたいな複雑な芸当ができてしまう。
また感情だけではなくて、今後の生活や仕事について二人で語るときも、リタイアや老後がいつか遠い日のことではなく、現実味を帯びた内容になってきている。
要は、中身はまさに「初老の夫婦」という感じなのだ。
そしてそこには、「若さ」がない。
小さい子供や若い人が放つ、これからどうなるかわからない、あやふやで、キラキラとして、不器用で、時々怒りさえ感じるような、不確定な「未来」がない。
若さがない、未来がない、なんて寂しいと思われるかもしれないが、不確定さにあふれていた時代に比べると、個人的には穏やかで満ち足りていて幸せでもある。日々はとても平和で、優しく、過ぎていく。
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子供がいる人に聞くと、乳幼児がいるときは、化粧水をつける時間もないと聞く。サポートの有無によって違うだろうが、自分のことを省みる時間もないというのは多くの人が言うことだ。
一方で私はいつまでも自分のことを考える時間がある。化粧水なんて何度つけても時間が余る。
それは幸せなのか、悲しいことなのか、それはもうその人しか決められないことだ。私は積極的に子どもを欲しいと思わなかったから、「まあこんなものさ」と今日も静かな夜を迎える。
そして私たちの静けさに輪をかけること。
双方の実家ともに、これまた、子どもと若い人がいないのである。夫の家も、わたしの家も、独身者が多く、親戚の縁も薄く、中年と老人の世帯なのだ。
占い師とかに見せたら、前世で触りがなんとか・・・とか言われそうな、子孫繁栄と縁遠い、少子化日本を何十年か先どりしたファミリーなのである。
もちろん人が集まっているから、多少の熱もあるが、やはり溌剌とした熱がない。
寂しさからくるのか、夫の実家にはたくさんの犬がいるが、彼らは私たちを置いてとっとと老犬となり、旅立ってしまう。
そして淡々と日常は流れていく。
1人、また1人と人間が欠けていき、最後に残るのは誰だろう?と思うことがある。実際にそんな話も夫とする。
そして、「ああ、私たちはこうやって緩やかに死に向かっているのだ」と、心のどこかシンとしたところで考える。
これは子供や若い人が持つ、不確定な未来がない世界だからだろうなと、思っている。
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こんな私は、SNSで、子供の入園式だの、卒園式だの、誕生日だの、七五三だの、受験だの、色んな行事を見ると、「どこか遠い世界の出来事」のように感じてしまう。
そういう写真を見ると、可愛いなと思いつつ、胸のどこかをチクッと刺すものがある。ああ、こんな風に人は節目を迎えるのかと。他人様の子供の成長で四季に気づく自分に一瞬あぜんとなる。
そして、人は自分のことよりも子供が生まれると、こんなに大切に思うものなのかと驚く。
また子供が好きというより、若い人が家にいるって何て素敵なんだろうとも思う。この間までヨチヨチ歩きだった幼児が、お母さんの背を抜くぐらいの青年になるなんて、なんて素敵なことなんだろうか。
一方で「子供がいない人は子供ぽい」「子供ができて初めて大人になったよ」という発言があると、ちょっと傷ついたりもする。
半端な人間だなと言われている気がするから、プライドが傷つくのだろう。
でも1人で暮らすことも、誰かと暮らすことも、大切なことだ。家族構成がどうだから人間の出来が変わるわけない。
そして、大人だけだから分かち合える時間があるような気もしている。
家族が少ない、独身なら独身の、子供がいない人はいない人の、いやその人それぞれの発見も成長もある気がしている。
そして時間はずいぶん少なくなってしまったけど、わたしたちの「未来」もだ。
他人と比べても仕方がない。私たちは大人の時間をゆっくり楽しもうと思う。
そして色んな立場の人、いやその人1人1人異なる事情を思いやる気持ちを持ち続けて生きたいなと、感じている。
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