つぶやき 手放す(2 卓袱台)前編

 以前の「つぶやき」の「あるお別れ」で触れたとおり、わたしは数年前から身の回りの片づけを意識している。一種の終活と言っていいと思う。

 「あるお別れ」で触れたものは、今年片づけたいものの筆頭だった。それを「1」とカウントすることにして、その次に今年中に手放したいと思っていたのが本項で述べる卓袱台であった。

 この「子」は、ずいぶん前の引っ越し祝いに、自分の親とおなじくらい年上の知人から贈られたものだった。卓面は丸く、脚は折り畳める。昭和の家庭を描くテレビドラマに出てくるような卓袱台に近いが、少し高級で、ていねいに塗られた卓面は木目が美しく、そのため逆にふだん使いにするには気が引ける代物でもあった。

 それでもたまに――お正月や、ダイニングテーブルではまかないきれない数の来客のときなど。これは近年ほとんどなくなったが――に、ふだんは畳んで立てかけてあるこの子を引っ張り出して使ってきた。最近では、新型コロナ禍で外食がほとんどできなかった時期、ベランダでのご飯に活躍した。

 別の言い方をすればそのくらいしか使う機会がなく、コロナ禍が去るとほんとうに全くと言っていいほど使わなくなった。もともと年齢相応に膝や腰に痛みが出るようになっており、正座はもとより、低い位置に座る姿勢がつらくなってもいた。それでも贈り主の厚意を無にするようで、なかなか手放せなかった。

 しかし、毎週1回程度比較的しっかり行う掃除のとき、立てかけてあるこの子をよっこらしょと移動させて床に掃除機をかけ、この子自体も全体を雑巾できれいに拭いては元に戻す、ということの繰り返しに疲れてきた。

 簡単に言えば、ほとんど使わないものにここまで手をかけなくてもいいのではないか、ということだ。

 それよりもっと活躍できる場へ送り出してあげたほうが、この子も、この子みたいなものを欲しがっている人も喜ぶのではないか、という考えがだんだんと強くなってきていた。(後編へ続く)

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