ひとやすみ 再びの感謝

 1年前のnoteに、ミヨ子さん(母)が女の子を産んだときの様子を、半分は想像で書いた(「八十四 若葉の朝」)。女の子は、わたしだ。翌日の項で産んでもらったことへの感謝を述べた。

 今日再び誕生日を迎え、ひとつ年を重ねた。今年もまた美しい若葉の季節に誕生日を迎えられた。

 体も頭も1年分は確実に弱くなったと思うが、まあなんとか普通の生活が送れて、noteも続けていられる。ミヨ子さんも1年分衰えていて、同居している兄によれば娘の誕生日も覚えていないらしいが、まだ元気だ。心からありがたいと思う。

 いつの頃からか、わたしは「欲」がめっきり少なくなった。数年前まで、傍目からはかなり好き放題に生きているように見えただろうし、実際周囲をずいぶんと振り回してもきた。ただ本人は、周りのお役に立たなければという思いも強かった。その分心身ともに、しんどい思いもけっこうしてきたと思う。

 いまは、いつ人生が終わってもいいと思っている。ただそれまでに、わたしの中に残された、両親や、その前に続く人たちのことをできるだけ書いておきたい。そんな思いでnoteに綴ることを最優先にして過ごしている。それ以外は、まあ普通に生活できれば十分なのだ。

 書く手段と能力をもらったことだけでも、幸運だと思っている。
 お母さん、お父さん。産んでくれてありがとう。
 ご先祖様、わたしに命をつないでくださってありがとうございます。

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