文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 12) メニュー
昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省し、数時間ながら郷里へ連れて行ったお話である。入所後初めて施設(グループホーム)を訪ねて再会し、車椅子も車に積んでふるさとへ向かう。わが家があった場所や、集落の「田の神(かん)さぁ(田の神様)」などへの寄り道が祟って予定より遅れ、昼食場所では順番待ちになってしまった。
食堂が付設された海鮮市場の中で、買い物は久しぶりであろうミヨ子さんが車椅子の上から商品を楽しそうに見ているのに声をかけつつ、奥の食堂にたどりついた。順番待ちの人たちの年齢はさまざまで、振替休日とあって家族連れもいる。高齢者も少なくないが、この中でミヨ子さんがいちばん年上なのはたしかなようだ。
ほかに車椅子で来ているようなお客さんはいないが、先に順番待ちリストに名前を書き入れたとき、同行者は車椅子だと伝え、店の人から「対応しますよ、大丈夫ですよ」と言ってもらっていた。わたしが書いたリストの名前の横には店員さんの手で「車椅子」と追記もしてあった。
順番まであと8組くらいだろうか。もう少し待たなければならない。時間つぶしに店の前に貼りだされている写真入りの大きなメニューの前に、車椅子を推して行って尋ねる。
「お母さん、何を食べようか」
この食堂は定食がメインだ。海鮮市場付設だから、お刺身定食や海鮮丼などの「生もの」が多い。しかしミヨ子さんは昔から生の魚は食べられない。そのことはわたしもよくわかっていて、これまでもいっしょに食事するときは気をつけてきた。今回も、できれば海鮮ものメインの食事処は避けたかったのだが、車椅子可という条件をクリアできるお食事処はもともと多くなく、郷里ではここしかなさそうだったのだ。
「何を食べようか」と言った端から、「これは刺身だからだめだよね」と、人気商品らしき定食が次々と候補から外されていく。残ったのはコロッケ定食と天ぷら定食、天丼だ。
「お母さんにはコロッケかねぇ」
これじゃあ選択肢はないのと同じじゃん、と心の中で自分に突っ込みを入れるが、やむを得ない。
「でもコロッケに鯛の身が入ってるんだってよ」
言い訳がましく付け加えたあと、わたしは天ぷら定食にして、ミヨ子さんのコロッケとシェアしようと決める。
ドライバー兼運搬担当のツレには、いちばん豪華(そう)な茶碗蒸しつきのお刺身定食を勧める。せめてもの「ご苦労様」だ。