最近のミヨ子さん 敬老の日2024(後編)
(前編より続く)
ミヨ子さん(母)とのビデオ通話での会話は10分ちょっと続いたのだが、先に印象を言うと、ミヨ子さんは「スマホ(携帯電話)で顔を見ながら通話している」という認識が持てていなかったように思う。声は聞こえているようで、会話も一応は成立した。しかし、画面に映るミヨ子さんはスマホの方を見てはいなかった。途中でカズアキさんが「(スマホは)耳に当てなくていいから。ここに(二三四が)映ってるだろ」と言う場面もあった。
ミヨ子さんの人生における「通信歴」の中で、ケータイの小さな画面越しに相手の顔を見ながら会話するという手法は、きわめて後発だ。わたしが思うに、ミヨ子さんの中で会話とは相手と直接か、せいぜい電話機を耳に当てて行うもので、スマホ(画面)登場以前の状態で止まっている、というかそこに戻ってしまっているのではないだろうか。
もう1点。カズアキさんがすぐ横にいて、「二三四から送ってきたお菓子だよ」「ほら、手紙ももらっただろ」「〇〇って言ってるだろ、返事してごらんよ」と、アドバイスというか、わたしから見ると常にミヨ子さんに「指示」している。
昭和一桁生まれ、しかも男尊女卑の鹿児島に育ち、「男を立てる」ということを至上命題として生きてきたミヨ子さんは、夫の二夫さん(つぎお。父)が亡くなってからは息子を立てることを最優先してきたはずだ。施設に入ったあとも、たまに面会に来る息子の言うことにはとても敏感であることが見て取れて、わたしは胸が痛くなる。
つまり、カズアキさんが横にいる限り、(スマホの向こうの)わたしとの会話に集中できないのだ。
まあ……。スマホ越しにとんちんかんな受け答えをしている母親が目の前にいれば、いちいち「訂正」したり「誘導」したりしたくなる気持ちはわからなくもない。でも、ミヨ子さんが同居していた頃は、そのいちいちの干渉がミヨ子さんのみならず、ほかの家族にとってストレスだった面もあったらしい。たまにしか帰省しないわたしも、「お母さんをもう少しほっといてあげたら」というようなことをカズアキさんには何回か言った。
でも性格は変えられない。ミヨ子さんが息子(の言うこと)を優先したい気持ちも、変わらないのだろう。
そんなこんなで、10分少々の会話は、極端に言えば「誰と何を話しているのかわからない」状態で終わった、とも言える。ほんとうはもっともっといろんなことを話したかった。できれば二人だけの会話をしたかった。
それでも、生きて(!)、しゃべって、お菓子をおいしそうに食べて「うんまか(おいしい)」と話すミヨ子さんをリアルタイムで見られるのは、幸せなことだ。
昨年の敬老の日を振り返ると、まだカズアキさん家族と同居していたミヨ子さんにやはりお菓子を送り、ビデオ通話で笑いあった(敬老の日2023)。つい1年前なのに、ミヨ子さんもミヨ子さんをとりまく環境もがらりと変わった。
しかし、「介護施設入所後」(その一~その二十)でも述べたとおり、ミヨ子さんは一時期ほとんど骨と皮のようになって点滴や抗生剤のチューブに繋がれていた。もう「こちら側」に戻れないのではないかと思ったほどだ。それが、いまやご飯は毎回完食で、スタッフさんともおしゃべりし、他の入所者さんが散らかしたテーブルを片づけようとするまで回復した。スマホの画面に映る顔もずいぶんふっくらとしてきた。
御年94歳〈278〉、なかなかの生命力だ。この調子で、あと何回も敬老の日を迎えられるだろう、と思いたい。だんだんと衰えていくにしても。
〈278〉noteで何回も触れている通り、ミヨ子さんの実年齢は戸籍より1歳多い。初出は「ひと休み(戦前の出生届)」。