文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 10) 昼食は順番待ち
昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省し、数時間ながら外出させ郷里へ連れて行ったお話を書いている。入所後初めて施設(グループホーム)を訪ねて再会し、車椅子をトランクに積んでレンタカーを走らせた。ふるさとに近づいたところでそこの地名を正確に言い、わが家の跡では車を降りたそうなミヨ子さんに、わたしとツレは集落の「田の神(かん)さぁ(田の神様)」を車の中から見せてあげた。
時間はもう11時近い。予定が少し押していた。昼食は郷里の海鮮市場に付設された食堂を考えてあった。車椅子で入れそうなお食事処はここくらいしかないのだ。事前に問い合わせたとき、予約はできないので早めに来て順番待ちリストに名前を書いておいたほうがいい、とも聞かされていた。だから11時のオープンより前に着いておきたかったのだが。
小さな町のこと、海鮮市場の駐車場へはすぐに着いた。広い駐車場には車がかなり停まっている。ツレが駐車する前にわたしだけ車から降り、走って市場の中へ向かう。やたら人が多い。そうだ、今日は振替休日だった。失敗したかも、と頭の中が熱くなる。
そう広くはない売り場を突っ切って食堂へ行くとすでに一巡目のお客さんが中に入っており、順番待ちリストに名前を書いたであろう二巡目のお客さんたちが、店の前のベンチにずらっと座っていた。急いでリストに名前を書く。10組目、小一時間待つかもしれない。
駐車場へ取って返す。車を停めたツレがトランクから車椅子を降ろすところだった。車椅子の座面を広げると、ミヨ子さんのものらしき白髪や衣類の繊維くずなどで汚れていた。触るのは憚られたが、ここにミヨ子さんを座らせるのもしのびなく、手でできるだけはたいた。
ふだんからこんな状態で座らせているのだろうか。お出かけのときぐらいきれいにしてくれればいいのに。娘としてはちょっと、というよりかなりムッとする。
ミヨ子さんがいる助手席のドアを開け、車椅子をつける。「立ち上がるのは大丈夫だよ」とお嫁さん(義姉)から聞いていたが、手で支えられるような適当な場所があまりないうえ、車の床がやや高めで、ミヨ子さんを車椅子に座らせるのはひと苦労だった。
天気はいい。お嫁さんに相談して、寒かったら羽織らせるか、ひざ掛けにするつもりで薄手のオーバーコートを預かってきたのだが、使うまでもなさそうだ。
明るい光の中でミヨ子さんの姿を改めて見ると、上半身はそれなりの服を着ているが――もちろん施設の人が着替えさせてくれたものだ――、ズボンにはあちこち染みがあって、お出かけにはふさわしくない感じがする。車椅子の座面と言い、ふだんからきれいにしてくれているのだろうか、とつい疑ってしまう。
ともあれ、市場の中に入らなければ。わたしはミヨ子さんに「ほら、えびす市場だよ。覚えてるよね」と声をかけて、車椅子を推して入口へ向かった。