ひとやすみ「note投稿1000回」

 noteを始めて2年半以上、本項を以て1000回書いてきたことになる。ただし連続1000回ではない。いろいろな事情で中断したことが何回かあり、連続投稿は最長227回だ。

 事前に中断しそうなことがわかっている場合は下書きを書き溜めておくこともあるが、毎回そんな準備ができるとは限らないし、下書きをうっかりアップし忘れたこともあり、「連続投稿ゼロリセット」をもう何度も繰り返している。

 それはともかく。noteを始めた動機は、自分の母親について書き残しておきたいということだった。最初の投稿から500回以上も使ってきた「文字を持たなかった昭和」というタイトルは、文字などに表して何かを発信する術はもちろん、そんな発想すら持たなかった昭和の庶民の一人としての母の来し方を、母に代わって記録しておきたい、という気持ちを込めたものだ。そこには、母のように自らを語る言葉を持たなかった昭和(やそれ以前)の農村の、日々を送るのに精いっぱいだった人びとにささやかな光を当てたい、という思いもあった。

 1000回の中には、自分のいまの気持ちを書いたエッセイのようなものしばしばあり、当初の思いがどのくらい実現できているか、甚だ心許ない。

 戸籍上は94歳になる母の来し方はだいぶ書いてきたし、その近況についてもかなり書いた。いまは、母にとって舅である祖父の来し方を書き進めている(タイトル「明治を持たなかった明治―吉太郎」)。それぞれのストーリーでは、「主人公」以外の登場人物としてのほかの家族や近所の人たちについて触れることも多い。だから往々にしてまとまりのないものにもなりがちだ。

 そんなわけで、書き足りていないと感じることばかりだ。母や祖父や、それ以外の人々の(わたしが思う)本当の姿にはまだまだ迫れていない。何をどう書けば、それぞれの人物に近づけるのか。試行錯誤しながら書いていくしかないのだろう。

 書いてきたものが多くの人に読まれているわけではない。♡(スキ)がつくのは1回の投稿でせいぜいひとつ、多くて数個。私自身は「書き残すこと」に意味を見出しているつもりなので、読まれるかどうかは最重要ではない。

 それでも、読んでもらえたらとてもうれしい。書くことに手一杯で、ほかの人の投稿を読んだり、過去の投稿をカテゴライズして見やすくしたりする余裕がなくて、ただ書き続けているだけで読みづらいであろうものを、ちゃんと読んでくださっている皆さん。ここでまとめてお礼を申し上げます。

 わたしが書いているのはわたしにとって身近な人々の物語だが、世界には無数の「わたしの物語」と「わたしにとって身近な人々の物語」があるはず。それぞれの物語によって世界は成り立っている。身近な、しかし大切なものを再発見する試みを、できるだけ長く続けられたらと願う。

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