最近のミヨ子さん 前回のコロナ感染

 昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いているのだが、このところは、息子のカズアキさん(兄)一家と同居してきたミヨ子さんがバタバタと介護施設へ入所するまでとその後を述べてきている。施設に入所したミヨ子さんが新型コロナに感染し面会が叶わなくなりそれが続いている状況も。
 
 前々項でも触れたが、ミヨ子さんの新型コロナ感染は2回目だ。1回目は2年前の8月だった。そのときの状況を述べた「今日のミヨ子さん(新型コロナ感染)」を開いてみて、2年もたたずに、ミヨ子さんの状態が大きく変わってしまったことに驚く。

 まず、表情が違う。写真でこちら(カメラ)を見るミヨ子さんは、この時点でも認知機能の低下はあったものの、まだ自分の意思を持ち、周りの状況を理解し(ようとし)ている雰囲気がある。なにより、感染症に罹っているのに「しっかりしている」。

 あれから2年近くが経ち、わたしもできる限り会いにいき、この5月にも会ってきたばかりなのだが、様子はすっかり変わってしまった。体のほうも、頭のほうも……。月単位でも、年配の方にとっては大きな経過であることを再認識する。

 そう言えば。帰省の折り、母親と同居する郷里の同窓生と食事の約束を取ろうとしたとき
「年寄りがいるといつどうなるかわからないから、その時は(ドタキャンしても)ごめんね」
と予めエクスキューズされたことを思い出す。その伝で言えば、ミヨ子さんと10年ほども同居してきたお嫁さん(義姉)は、旅行はおろか、ここ2年ばかりは外出さえ気を使う日々だったのだ。

 話が逸れた。

 前回のコロナ感染時の「記録」を読み直してみると、その当時ですでに、ミヨ子さんが変わっていくことへの戸惑いを吐露している。しかし、その後の変化に慣れることはなく、戸惑いはますます大きくなってきた。

 そしていま最大の戸惑いは、ミヨ子さんの「いま」が見えないことだ。

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