文字を持たなかった昭和 続・帰省余話23~温泉でリベンジ!その三
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。
今度は先だっての帰省の際のあれこれをテーマとすることにして、印象に残ったことのまとめやエピソードに続き、ミヨ子さんとのお出かけを振り返っている。桜島を臨むホテルに泊まり、温泉を引いた大浴場で入浴。離島住まいのミヨ子さんのいちばん下の妹・すみちゃんも交えてディナーを楽しんだ。翌日、島へ戻るすみちゃんとお別れしたあと、実家近くの古いお墓へお参りに行くもミヨ子さんの脚が動かず、結局二三四(わたし)だけがお参りした。
そのあと、郷里に数年前できたグランピング施設にチェックイン。続いて隣接する「市来ふれあい温泉センター」へ。前回の帰省では入り損ねた介護湯と呼ばれる家族湯を、今度こそ利用するのだ! 個室内に入りいよいよ洗い場へ向かった。
まずミヨ子さんを車椅子から下ろして、洗い場の風呂椅子に座らせる。このほんの少しの移動が意外に難しい。家族湯と言っても、介護される人とその付き添い、せいぜいもう一人くらいしか想定していないのだろう、洗い場は狭くシャワーはひとつしかない。
とりあえずミヨ子さんの髪と体を洗う。いつもながら、曲っただけでなく横にも少し湾曲したような背中を見るのは切ない。小柄な体で長年にわたり重いものを担いだり、持ち上げたりした結果なのだ。備え付けのせっけんをタオルに泡立てて、ていねいに背中を流す。大きくごわごわな足も、ゴシゴシ洗ってあげる。自分は、とりあえず体をざっと流す。大浴場と違って二人だけなので、汚れ落としはあまり気にしなくていいだろう。
それより気になるのは、浴槽への移動だ。
浴槽へ上がる数段の階段には手摺がついているが、ミヨ子さんにそれを上らせるのは怖くてできない。それ以外の場所に手摺はついていない。立ち上がらせたミヨ子さんを支えつつ浴槽まで2歩ほど歩かせて、浴槽の縁に腰かけさせる。そして、そのまま体を反対に向かせると、浴槽に下りられる体勢になる。これは、母親とこの介護湯をときどき利用している二三四の同窓生Mさんが教えてくれたノウハウだ。
なるほど、段差を上り下りさせるよりずっと安全だ。お年寄りは浴室(やトイレ)で滑ったり脚がもつれたりして転び、骨折する人が多い。そのまま寝たきり、そして認知症へ一直線というケースもよく見聞きする。転ぶリスクがかなり低減できるこの方法は確かにありがたい。
と言っても、腰かけたあとの方向転換はそうそう簡単ではない。90度体を回すのに、いったん浴槽の縁まで脚を乗せなければならないのだ。縁に幅があるのでお尻は安定しているが、腕を支えるものが何もないところで、座ったまま体を逆向きにさせるのはなかなか難しい。バランスを崩して浴槽にダイブしてしまったり、逆に洗い場に倒れてしまったりしては、ちょっとぐらいのケガではすまなそうだ。そのときわたしは、裸で助けを呼びに行くんだろうな、と二三四は緊張する。
なんとかミヨ子さんの体を180度回して浴槽側へ向けられた。そろそろと、浴槽内の段差に脚を下ろさせ、そこに座らせる。小柄なミヨ子さんはもうそれだで胸のあたりまでお湯に浸かった形だ。段差から脚も伸ばせるのでちょうどいい。
やっと「ゆっくりお湯に浸かる」体勢に持ってこられて、二三四は深く息をついた。
※前回の帰省については「帰省余話」1~27。
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