文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 35) 面会での散髪②

(「面会での散髪①」より続く)
 ――という思いもあり、施設(グループホーム)のほかの入所者のヘアスタイルをそれとなく観察してみた。女性でもショートスタイルの人ばかりだがそれなりに様になっていて、それぞれ「似合って」いる。出入りの理容師さんの技術がちゃんとしているのだろうという想像がついた。

 そもそも、90代半ばのおばあさんの髪型に似合うも似合わないもない、という人もいるだろう。しかし振り返ればミヨ子さん(母)は、昔から年に何回かは同級生が営む隣町の美容院に行き、髪にはそれなりにこだわりを持っているようだった。若い頃はパーマも当てたし、白髪が気になるようになってからは毛染めもした。それに、家事と農作業に追われる日々の中、「パーマ屋さん」に行くのは大事な息抜きだったはずだ〈294〉。

 その同級生が高齢を理由に店を閉めてからは、ミヨ子さんは同じ集落のお嫁さんが勤める町内の美容院に行くようになった。そこは予約に合わせて送迎もしてくれて便利だと言っていた。わたしも帰省の折りにその美容院に連れていってあげたことがある。「パーマ屋さん」で過ごす時間を、プレゼントしてあげたかったからだ。

 一方、お嫁さん(義姉)にしてみれば、同居するようになったミヨ子さんの髪も、ほかの家族にするように切っただけなのだと思う。施設への入所が決まったときも、案内を見ながら「散髪は……外部委託で有料か。わたしが切るから頼まなくていいわ」と言っていた。それはそれですごいことだと、感謝と同時に感服もしている。

 ただ、プロのサービスには料金に見合った技術が伴うだろう。施設での散髪では髪を洗ったりはしないのかもしれないが、プロの応対を受ける快適さをミヨ子さんにも味あわせてあげたい気もする。いや、「も」ではなくそうさせてあげたい、というのがわたしの本音だ。そのための費用を負担するのもかまわない。

 でもそれを言い出すと「角が立つ」。ついでの時にだとしても、散髪の費用だけを渡すわけにもいかない。施設入所に関わるさまざまな手続きも、必要な身の回り品も、お嫁さんが中心になって進め、整えてくれた。いまもよく面会に行ってくれている。そもそも同居している間のお世話は、お嫁さんにすっかり頼ってきたのだ。

 ミヨ子さんはもうプロの美容師さんに髪を切ってもらうことはないのだな、と改めて思う。よく、年齢を重ねることはできることが減っていくことだ、と言う。それは、してあげられることが減ることでもある。自分の親のことなのに、何も決められない、できないことに、心でまたため息をつく。

〈294〉農家の現役主婦だった頃のミヨ子さんのヘアケアについては「文字を持たなかった昭和 おしゃれ」の項、「(23)パーマ屋さん」「(24)続・パーマ屋さん」「(25)毛染め」「(26)パーマ屋さん余話」などで述べた。


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