文字を持たなかった昭和 二百四十三(正月支度――年の市、続き)

 昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)たちの正月支度として、毎年末に立つ「年の市」での農具や日用品の買い物について書いた。

 年の市で売られるのは「使うもの」ばかりではない。食べ物も売られていた。年に一度の、しかもお正月前の市とあって町内の人が大勢繰り出す。そこで食べ物を売らない手はなかっただろう。

 ただ、残念なことにミヨ子の下の子・二三四(わたし)は、どんな食べ物を売っていたのか、その場で食べられるものがあったのか、全く覚えていない。幼稚園に上がるかどうかぐらいまでのことだから、それもしかたがない。

 二三四が唯一覚えているのは、年の市でクリスマスケーキが売られていたことだ。1970年前後の、しかも地方のこととて、当然ながら生クリームではなくバタークリームのケーキだ。逆にバタークリームだから、寒い季節なら数日置いておいても味は変わらなかった(はずだ)。

 見本のケーキは市に出店したお店――菓子屋なのか、食料品店なのか分からない――の前に並べてあり、それぞれの大きさのすでに箱詰めされたケーキが山と積まれていた。見本を見比べて、大きさと価格を考えて「これなら」と思うものをミヨ子が買ってくれた。家までは歩けば40分くらいはかかったはずだが、こわれやすいケーキが入った大きな箱をどうやって持ち帰ったかも記憶にない。二夫(つぎお。父)が運転するオートバイに乗っけて持ち帰ってもらったのだろうか。

 クリスマス当日に開けた箱からは、白いクリームの大きなケーキが現れた。せいぜい18センチサイズ程度だったはずだが、子供の目には大きく見えた。何よりホールのケーキなど買ったことがなかったのだ。

 ケーキの上にはやはりバタークリームで作ったピンク色のバラの花がいくつか飾られていて、砂糖で作ったサンタクロースとサンタの家も載せてあった。プラスチックのモミの木も「植えて」あった。

 見たこともないお菓子! クリスマスが何なのかほとんど知らないまま、家じゅうでにこにこと眺めるのだった。

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