文字を持たなかった昭和369 ハウスキュウリ(18)大きくなるキュウリ

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 このところは昭和50年代前半新たに取り組んだハウスキュウリについて述べており、労働力としての当時の家族構成から、苗の植えつけ手入れの概要収穫の様子などについて書いた。

 前項のとおり、摘んでも摘んでも追いつかないほどキュウリは生長する。やがて、キュウリの生長にほんとうに追いつかなくなってきた。

 商品価値がいちばん高いMサイズの段階で収穫するのが間に合わずLサイズになってしまう。こんな大きさのキュウリは店でも安く売っていることは、たまに学校帰りにスーパーに寄る程度の、高校に入ったばかりの二三四(わたし)でもわかった(もちろんキュウリを買ったことはなかったが)。サイズが大きくなると、種の部分も大きくなり水分も増え、味がぼんやりしてくる。逆に皮は厚く硬くなる。持ち運びもしづらい。

 それでもLに収まっている間に収穫できればまだましだった。いつの頃からか、もしかするとハウスキュウリを始めて1年目ではなかったかもしれないが、Lよりもっと大きいキュウリが生るようになった。もちろん勝手に生ったわけではなく、収穫が間に合わないのだ。

 Mサイズを優先して収穫したいから、どうしてもそちらに手が取られて、大きめのキュウリは後回しになる。やがてLからサイズ規格にも合わない大きさのキュウリが下がるようになってきた。それでも間に合わないほど、キュウリはどんどん大きくなった。

 一見キュウリとは思えない大きさの、かろうじて瓜であろうと推測されるものがあちこちにぶら下がっている! もちろん、養分も水分も吸い上げながら。こいつらの1本は、いったい規格サイズのキュウリの何本分になるのだろう。

 ミヨ子にとっても、二三四にとっても、おぞましい光景だった。事業を決めた二夫は、いったいどんな気持ちだったのか。推測するのさえ胸が苦しくなる。

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