昭和な?ことわざ(袖すり合うも)

 桜のあとのハナミズキを追って、あちこちでツツジが満開だ。どきっとするほど鮮やかな濃いピンクも多い。

 そんな中、近所を散歩していたときのこと。濃淡のピンクや白のツツジで彩られた歩道の植え込みを愛でながら歩いていたところ、前方から小学3、4年くらいの男の子が歩いてきた。足元にいくつか落ちたツツジの花を蹴りあげながら。両手には割りばしのようなものを持って。

 わたしの少し前を、少年から見たらおじいさんの年代の男性が歩いていた。ツツジの花が蹴られる様子をちらりと見たが、そのまま通り過ぎた。

 わたしは
「花を蹴ったらかわいそうでしょ」と言う。少年はわたしをちらっと見たが視線を逸らし
「花は痛くないからかわいそうじゃない」と答える。
「花は痛くないってどうしてわかるの」
「花が痛いなんて学校で習わない。花はしゃべらないし」
「学校で習うことが全部じゃないし、しゃべれなくても花にも気持ちがあるかもしれないでしょ?」
「うるさいな。おばさんには関係ないよ」
「関係あるよ。わたしもあなたも、同じ街に住んでるんだから」
「うっせー、ばばあ!」と、少年は走り去る。

 というような会話を脳内でシミュレーションまでしたが、結局何も言えないまま少年とすれ違った。その先の植え込みの脇には、棒状のものを振り回して落としたと思しきツツジの花がいくつも転がっていた。

 わたしが子供の頃――昭和40~50年代――こんな場面に遭遇した大人は「そんなことをするものじゃないよ」とたしなめただろう。怖いおじさんなら「こらっ」と怒鳴りつけたかもしれない。大人は「よその子」に対して、いまよりもっと積極的に、だが自然に関わっていた。よく言われるように「自分の子」「よその子」と分けるのではなく「みんなの子」「地域の子」という意識だったのだと思うし、子供も大人全体から見守られているという意識だったと思う。時として「見張られている」ような窮屈さと背中合わせではあったが。

 大人と子供の関係だけではない。小さい地域の中ではもちろんのこと、社会全体が「お互い様」を前提に関わっていた。

 「袖すり合うも他生の縁」とも表現した、「いまここにあることを共有させてもらっている」感覚が遠くなった。共生の重要性を指摘する声はますます大きくなっていて、わたしも同意するひとりだ。ただ、いまの日本では、足元、身の回りが見えなくなっていると感じることが多いのも、わたしだけではないと思うのだが。


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