ミヨ子さん語録「白河夜船」

 昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた(最近はミヨ子さんにとっての舅・吉太郎の来し方に移ったあと、先月の帰省のエピソードをしばらく続けた)。

 たまに、ミヨ子さんの口癖や、折に触れて思い出す印象的な口ぶり、表現を「ミヨ子さん語録」として書いている〈247〉。

 「白河夜船」もミヨ子さんが時々口にしていたフレーズだが、ご存知のとおりこれは鹿児島弁ではない。ネット上の解説を引くと「何も気がつかないほど、ぐっすり寝入っている様子のこと」の例えとされる〈248〉。

 昔はまさにその例えでふだんの会話の中で使っていたし、わたしの経験では、落語や漫談などの中で使うこともあった。しかし最近はあまり使われないように思う。だいたい諺や四字熟語の類を、日本人全体が使わなくなっている。

 それはともかく、ミヨ子さんはしばしばこの言葉を口にした。晩ご飯のあとつい寝入ってしまい、誰かに起こされ「あら、すっかり白河夜船だったわ」という場面がいちばん多かった。昼寝のときもぐっすり寝込んで「昼間なのに『夜船』だったね」と恥ずかしそうに言うこともあった。

 いまにして思えば、いつも農作業と家事に追われていたミヨ子さんは、いつも疲れていて眠かったのだろう。眠ることが至上の楽しみとも言っていた。食べる楽しみはそのだいぶ下で、それもまずお腹を満たすことが優先されただろう。

 いま同居しているお嫁さん(義姉)が「お義母さんは趣味らしい趣味がないよね。認知機能の維持には趣味があったほうがいいんだけど」と漏らすことがある。理屈としては正しいのだろうが、趣味とは何かも知らないぐらい働きづめの人生だった。母親が無趣味であることを、娘のわたしは責められない。

 なぜ突然「白河夜船」を思い出したかというと――ミヨ子さん語録を思い出すのはたいてい突然だが――、最近ミヨ子さんの末妹(叔母)のすみちゃんとやりとりしていて、すみちゃんがメッセージの中で「最近は夜9時を過ぎると白河夜船です。すぐに返事できずごめんね」と送ってきたからだ。白河夜船の四文字を見たのもものすごく久しぶりだったが、姉妹で同じ熟語を使うのにも驚いた。昼間一生懸命働き夜はこてんと寝てしまうところも、もしかすると似ているのかもしれない。

 この「すみちゃん」は、noteを始めたばかりの頃、妹から見たミヨ子さんについて書いた「二十三(きれいな姉ちゃん)」で初めて登場した。昨秋の帰省では、「姉妹が集う最後の機会かもしれない」と、桜島の見えるホテルで一泊したこともある(続・帰省余話13~姉妹の再会)。

 ミヨ子さんとは20歳も下だが、わたしには12歳上(つまり同じ干支だ)の「だいぶ年上のお姉さん」でもある。ミヨ子さんの実家は同じ集落にあったから、姉がいないわたしはすみちゃんによく懐いた。年上の女の子たちの生態を仔細に学べる対象でもあった。いずれこのすみちゃんについても書く機会があるかもしれない。

〈247〉過去の語録には「芋でも何でも」、「ひえ」、「ちんた」、「銭じゃっど」、「空(から)飲み」、「汚れは噛み殺したりしない」、「ぎゅっ、ぎゅっ」、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」、「換えぢょか」、「ひのこ」、「自由にし慣れているから」、「うはがまんめし、こなべんしゅい」がある。
〈248〉「白河夜船」には「本当は知らないのに知っているかのように振舞うこと」という意味もあることは、確認のためネットで調べて初めて知った。
 「白河」は京都の地名で、京都に行ってきたと嘘をついた男が「白河」はどうだったかと尋ねられたときに、川の名前だと勘違いした男は「夜の船で、眠っている間に通り過ぎたからよくわからない」と答えたため、男の嘘がばれてしまったという故事に拠るらしいが、これもじつは知らなかった。
 わたしの場合子供の頃から「白河夜船」という言い方(だけ)を聞いていたため、妙にイメージが出来上がっていたようだ。うとうとすることを「船をこぐ」というが「夜眠くなり船をこいでしまう」という意味に捉えていたのだ。もしかするとミヨ子さんやすみちゃんも同じかもしれない。


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