最近のミヨ子さん 回復基調
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)。今年(2024年)6月末介護施設に入所したが、最近体調に異変が生じ、施設(グループホーム)提携先の病院から救急搬送され鹿児島市立病院に入院した。症状は腎不全だが根本原因は脱水、つまり水分摂取不足ということで、その手当てをすれば大事に至らずにすみそうだった。
とりあえず点滴を打ち、年末年始は病院で過ごすと見込まれた。年始の面会は1月6日からと聞いていたので、それまでは一人病室で過ごすのだろうと思っていた。
ところが、大晦日の前日サプライズがあった。施設入所まで同居していたカズアキさん(兄)が面会に行ったそうで、わたしのスマホにメッセージと動画が届けられたのだ。メッセージには「元気そうです」とあった。
動画の画面には、病室のベッドに横たわるミヨ子さんが写っていた。カズアキさんはしきりに話しかける。「顔色はよさそうだね」「ここは鹿児島でいちばんいい病院なんだよ」。だから安心しなさい、と言いたいのだろう。
ミヨ子さんは入れ歯を外しているせいか発声がはっきりしないが、話しかけられるとひとつひとつに反応し、なにがしかの言葉を発する。言われていることを、100%ではないかもしれないがミヨ子さんなりに理解しているのだろう。
「ここには、6月にもコロナで入院したから、2回目だよ」「いま12月。あと2日で正月だからね」という説明にはちょっとピンと来ていないようだが、いちおう頷いてはいる。
ミヨ子さんはときおり脛のあたりを掻く。もともと――おそらく老人性の――乾燥肌で、ふだんから痒がってはいた。「ほら、掻いちゃだめでしょ」とカズアキさんが制止する。それでも掻いてしまうので「掻いちゃだめ。手や足を動かすのはいいけどね」と補足している。
「ご飯は食べたの?」と聞かれ、うなずいている。本当に食べているのだろうか? と思わなくもないが、もし食べているとすればたいした回復力である。もっともまだ流動食程度かもしれない。
「外が見える、いい部屋(病室)だね」とカズアキさんが呟く。ベッドに横たわるミヨ子さんから外の景色は見えるのだろうか。見えると言われて、見ようと思うのだろうか。認知機能が低下している病身の94歳の老婆がどんな心理なのか、想像がつかない。でも、暗い閉鎖的な病室よりは、日の光が入るほうがいいだろう。
この部屋で、ミヨ子さんは年を越す。年齢を「数え」で数えていた昔の人たちは、お正月が来れば全員ひとつ年を取った。地域のミヨ子さんたち世代もその数え方がふつうで、わたしが子供の頃もまだ、正月がくると「いくつになった?」と聞かれたものだ。
ほんとうは昭和4年生れで巳年のミヨ子さんはあと1日で96歳になる。鹿児島のふるい言い方で年越しを祝おう。
「若(わ)こないやんせ」(お若くなってください)