文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話10 着た切り雀
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。
1年に1~2回帰省し、合間に電話やビデオ通話でミヨ子さんの状態を窺っているが、直接顔を合わせてみると、いろいろなことが明らかに変わってきていることに気づかされる。そのひとつが、着衣の習慣だ。
たしか一昨年あたりまでは、ミヨ子さんは寝るときパジャマかゆったりした衣類などに着替えて寝ていたと思う。しかし前回か前々回の帰省のとき、「あれ? 着替えないのかな?」と思った瞬間が何回かあった。夜中にトイレで失敗したりするから、お嫁さん(義姉)は昼間の服のまま寝かせているのかもしれない、とも思ったが、口に出せずにいた。
そして今回、明らかに「着た切り雀」〈245〉であることが見てとれた。
朝起きても眠くなるとまたベッドに戻ってしまうし、起きている間もトイレの失敗があるから、出かけたり汚れたりのタイミングで着替えさせるのだ、とお嫁さんは説明してくれた。2日続けてデイサービスに行く日もあるが、デイサービスではお風呂に入れてもらうし取り立てて汗もかかないから、汚れていなければ同じ服で行かせることもあるらしい。
逆に、トイレで失敗すれば、換えたばかりのズボンも穿き換えなければならない。
ミヨ子さんは着るもののデザインや色などには特段のこだわりはないが、寒がりなので重ね着した上に何かを羽織りたがる。長年愛用の「毛糸のチョッキ」(いまふうに言えばニットのベスト)も手放せない。
そして、同じ服で夜も寝てしまう――。夜だと思っている場合も含めて。そして目覚めると、デイサービスのために着替えようとする――。
娘のわたしとしては、本人の認識はともかく、昼夜の区別を少しでもつけるためには、夜休むときはそのための服に着替え(させ)たほうがいいのでは、と思う。しかしそれは、同居する息子(兄)家族の日常の問題であり、負担にもなるだろう。だから、何も言えない。
2年ほど前に「昼夜の区別や時間の感覚が鈍くなってきた」という話を聞くようになった頃、せめてその変化を軽減するか遅らすための手立てがあるのでは、と調べたこともあった。しかし「対策」は基本的に、同居する家族や施設のスタッフなど、身近で接する人が施すものであり、遠くに住んでいるわたしが、細かくお願いできる筋の話ではなかった。そのことは、いまも一種の悔いとして残っているが、どうしようもない。
かくしてミヨ子さんは、昼も夜も同じ服を着て居間に座り、ご飯を食べ、眠くなればベッドに潜り、時間がくればデイサービスに行く。合間に、飼われている2匹の猫たちの様子を目で追い、「チョ、チョ、チョ」と舌打ちして呼んでみたりする。トイレで失敗したり、お嫁さんが「そろそろかな」と判断すれば、服を着替える。
そうして時間はゆるゆると流れていく。それは、幸せなことなのだろう。――と思うしかない。
〈245〉昔話の「舌切り雀」との語呂合わせ。同じ服を続けて着ていることを揶揄したり、卑下したりするときに使う。聞いたことがない人も多くなっていそうなので、念のため脚注を入れておく。