文字を持たなかった昭和 百二十四(麦茶)

 母ミヨ子が現役の農家の主婦で、子供たちはまだ小さかった昭和30~40年代、鹿児島の農村で売られていた氷菓「三角ジュース」について書いた。そのあとで、当時の夏場の飲み物は何だったか考えたとき、即座に浮かんだのはやはり麦茶だった。

 いまや、麦茶に限らず飲み物――ドリンクと称する人も多い――は、ペットボトル入りのものをスーパーやコンビニ、自販機などで買うのが当たり前だが、何につけ手作りの当時、とくに自給自足が当然の生活が長かった農村にあっては、飲み物を「買う」など考えられなかった。

 ミヨ子の家でも、お茶と言えばふだんは緑茶をお湯で淹れるところ、夏場は麦茶を沸かした。麦茶を煮出すための炒った麦は、「マッちゃんち」のような食品店で大きな袋に入れて売られていた。姑のハルは器用だったので、元気だったころはあるいは自分で麦を炒ったかもしれない。

 2升ほども入る大きなヤカンに麦と水を入れて、火にかけて沸かす。沸いたら火を弱めて味が出るまで煮出して火を止める。粗熱がとれたら、井戸から汲みだした水を桶に張ってヤカンのまま冷やす。

 冷ますと言っても冷蔵庫を使うようになるまではこんな感じで、水温より低くはならないのだから、「冷たい」というにはほど遠かったはずだが、夏場の農作業の合間に、お湯で淹れた熱いお茶を飲む気にはならなかっただろうから、麦茶のさっぱりした味わいは夏ならではで、心も体もほっとしたことだろう。

 いまにして思えば、シンプルというか自然条件に限りなく近い状態のものを口に入れていたのだ。よく「人間も自然の一部」と言うが、まさに自然の移ろいの中で自然に寄り添うような暮しをしていた、と言えなくもない。往時の栄養状態でよく年取ってからまで働けたものだ、と思うこともあるが、この「自然に寄り添う」暮しのおかげかもしれない。

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