最近のミヨ子さん 面会①
(前項「面会規定」はこちら)
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。
入院中のミヨ子さんの容態急変の報せを受け、2月6日わたしは鹿児島へと向かった。空港からのバスは路面凍結のため一般道路を通り、通常より1時間ほども多くかかって鹿児島市内に到着。わたしはカズアキさん(兄)と面会に赴いた。
4人部屋の病室の、ミヨ子さんのベッドを囲むカーテンを開ける。ミヨ子さんは………小さく萎んだような姿で眠っている。エネルギー供給は点滴だけなのだから当然か。痛々しさに胸がつぶれそうだ。
「いけんなー」(どう?)
カズアキさんに声をかけられたミヨ子さんはうっすらと目を開けて、焦点が定まらない視線を泳がせるが、すぐに目を閉じようとするので、わたしは「お母さん、二三四だよ」と呼び掛ける。何かが見えているのか、いないのか、よくわからない。
「カズアキじゃっど」(カズアキだよ)と言いながらカズアキさんがマスクを外す。顔がはっきり見えて相手を認識できたのか、ミヨ子さんの目に光が戻ったように見えた。わたしも急いでマスクを外し、ミヨ子さんの顔を覗き込む。わたしと目が合った。
「二三四も東京から戻ってきたたっど」(二三四も東京から戻ってきたんだよ)
カズアキさんが少し声を大きくした。
「んだ」(あらまあ)
ミヨ子さんは、驚いたときに発するその鹿児島弁を、はっきり言った。
わたしは、ミヨ子さんの耳元に口を近づけて「会いに来たんだよ。心配したよ。会えてよかった」というような――しかし、まとまりのない――ことを繰り返した。ヒトはさまざまな感覚が衰えていっても、聴覚だけは最後まで残る、と聞かされていたからだ。それを教えてくれたのは、ミヨ子さんの末の妹で屋久島在住のすみちゃんだ。
ミヨ子さんはわたしたちを見て、明らかに何かを言おうとした。はっきりした言葉にはならない、いわば赤ちゃんの喃語のような声が、入れ歯を外した口から洩れる。「何を言いたいの?」と問いかけたい衝動に駆られる。
「そんなに覆いかぶさったら、圧迫感があるんじゃないか?」
カズアキさんがふいに冷静な一言を投げた。ひとの気持ちがわからないひと。心の中で詰る。
しかたがないので、胸の前に置かれたミヨ子さんの左手を取って擦ってあげる。看護師さんからは低体温と説明されたが、思いのほか温かくほっとする。手を擦り続けると、ミヨ子さんはうれしいのか安心するのか、また何か言葉を発しようとした。明らかに感情を伴った反応で、伝えたいことがあるように見える。聞き取れないのがもどかしい。もっと早く会いたかったと思う。
やがて面会既定の15分が迫ってきた。カズアキさんは「そろそろ時間だから。俺は先に出てるけど、お前も切り上げろよ」と言い残して病室から出て行った。最後ミヨ子さんに
「また来っでな」(また来るからね)
と声をかけるのは忘れなかったが。
ほんとうはミヨ子さんと二人きりで話をしたかったわたしにとって、やっと望んでいた時間が訪れた。(次は「面会②」)